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  • 《外国奉行たち》
    ウィリアム・ナソー・ジョスリン
    1858(安政5)年 鶏卵紙 101×140(mm)

    撮影者ウィリアム・ナソー・ジョスリン(William Nassau Jocelyn、1832-1892)は、日英修好通商条約を締結するために日本を訪れた第8代エルギン卿(ジェームス・ブルース)率いる使節団の書記を務めた人物である。本作は条約締結後に江戸で制作されたと考えられる。これ以前にペリー艦隊のエリファレット・ブラウン・ジュニアによる作例や、日本人によって初めて制作された写真はあるものの、いずれもダゲレオタイプである。本作は開港以前に制作された写真でありながら、鶏卵紙にプリントされている。日本において、制作された最も早い鶏卵紙の作例であるということができる。

  • 《団扇と女性》
    フェリーチェ・ベアト
    1864-1865(元治元-慶応元)年頃 鶏卵紙に手彩色 220×158(mm)

    フェリーチェ・ベアト(Felice Beato、1834-1909)は、幕末期に来日し、江戸市中や下関戦争などの状況、あるいはこの時代における日本人の風俗を撮影し、当時の西欧社会へ発信した。ベアトは、かつてヴェネチア共和国の領土で当時イギリス領であったコルフ島(現在のキルケラ島)の出身で、1853年に勃発したクリミア戦争を記録するため、義兄弟であるジェームズ・ロバートソン(James Robertson、1813-1888)に従って弟であるアントニオ・ベアト(Antonio Beato、1835-1906)と共に戦地へ向かった。その後、インド大反乱(第一次インド独立戦争)や中国第二次アヘン戦争の取材を経て、文久3(1863)年春ころから同年の7月までの間に来日した。
    日本における風景写真は、横浜居留地や外国人遊歩区域内の箱根、小田原だけでなく、江戸市中も撮影している。また、事件についても撮影しており、元治元(1864)年の下関戦争に従軍して撮影し、文久2(1862)年に生麦事件が起きた現場の記録も行った。明治に入ると台風で大きな被害を受けた神戸市街の撮影も行っている。他方、日本の風俗を屋外や組み立てられたセットを用いて撮影し、美麗な着彩を施したプリントを制作している。これらをまとめたアルバム「Photographic Views of Japan with Historical and Descriptive Notes(史的解説が付属する日本の風景写真)」を明治元(1868)年に販売し商業的に大きな成功を収めた。なお、弟アントニオはエジプトで遣欧使節を撮影したことでも知られている。

  • 《女性と子供》
    フェリーチェ・ベアト
    1864-1865(元治元-慶応元)年頃 鶏卵紙に手彩色 204×178(mm)

    フェリーチェ・ベアト(Felice Beato、1834-1909)は、幕末期に来日し、江戸市中や下関戦争などの状況、あるいはこの時代における日本人の風俗を撮影し、当時の西欧社会へ発信した。ベアトは、かつてヴェネチア共和国の領土で当時イギリス領であったコルフ島(現在のキルケラ島)の出身で、1853年に勃発したクリミア戦争を記録するため、義兄弟であるジェームズ・ロバートソン(James Robertson、1813-1888)に従って弟であるアントニオ・ベアト(Antonio Beato、1835-1906)と共に戦地へ向かった。その後、インド大反乱(第一次インド独立戦争)や中国第二次アヘン戦争の取材を経て、文久3(1863)年春ころから同年の7月までの間に来日した。
    日本における風景写真は、横浜居留地や外国人遊歩区域内の箱根、小田原だけでなく、江戸市中も撮影している。また、事件についても撮影しており、元治元(1864)年の下関戦争に従軍して撮影し、文久2(1862)年に生麦事件が起きた現場の記録も行った。明治に入ると台風で大きな被害を受けた神戸市街の撮影も行っている。他方、日本の風俗を屋外や組み立てられたセットを用いて撮影し、美麗な着彩を施したプリントを制作している。これらをまとめたアルバム「Photographic Views of Japan with Historical and Descriptive Notes(史的解説が付属する日本の風景写真)」を明治元(1868)年に販売し商業的に大きな成功を収めた。なお、弟アントニオはエジプトで遣欧使節を撮影したことでも知られている。

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