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  • 村人たち
    下岡蓮杖
    文久三年-明治九年頃
    鶏卵紙

    本作は、同時代の写真師であるフェリーチェ・ベアト(1834-1909)による作品の複写である。著作権法もなく、現在とは倫理観が異なることを語る作品。ベアトとどのような関係であったかは明らかになっていないが、同じ横浜で活動したベアトから強い影響を受けていたと考えられる。


    下岡蓮杖(1823-1914)
    江戸時代末期、開港とともに夜明けを迎えた日本の初期写真史において、最も重要な写真師の一人。日本人初の営業写真師としては鵜飼玉川*1 がわずかに早いものの、「写真開祖」の一人として日本写真界の第1世代を築いた人物です。同時期に活躍した長崎の上野彦馬*2 に対し、東の蓮杖とうたわれ、横山松三郎、臼井秀三郎、鈴木真一など、後の日本写真史を継承する多くの優れた弟子を輩出しました。

    *1 鵜飼玉川(うかいぎょくせん)…1807−1887年 写真師
    日本で最古の商業写真家とされる。下岡蓮杖よりもわずかに1年ほど早い1861年に肖像写真を撮影したとされる記録が福井松平藩の御用日誌にも残る。

    *2 上野彦馬( うえのひこま)…1838−1904年 写真師、蘭学者
    長崎医学伝習所に入所し、化学を学ぶなかで写真術と出会い、写真技法の研究に着手する。
    日本初の写真技法書をふくむ『舎密局必携』を記したことでも有名。

  • 木村政信像
    下岡蓮杖
    文久二年
    アンブロタイプ

    現存する下岡蓮杖の作品においても、初期の作品と考えられる。技術的にも確立していない印象を受け、現在では暗く明確に画像を読みとることがむずかしい。しかし、額状のケースに収められていることや被写体の扱いはとても興味深い。蓮杖は被写体に対してカメラを斜めにかまえている。日本において肖像写真の制作が定型化されない以前ものであり、錦絵と同じように人物の動きをも写し示す努力を感じる作品といえる。なお、箱書きには下記のような記述がみられる。


    下岡蓮杖(1823-1914)
    江戸時代末期、開港とともに夜明けを迎えた日本の初期写真史において、最も重要な写真師の一人。日本人初の営業写真師としては鵜飼玉川*1 がわずかに早いものの、「写真開祖」の一人として日本写真界の第1世代を築いた人物です。同時期に活躍した長崎の上野彦馬*2 に対し、東の蓮杖とうたわれ、横山松三郎、臼井秀三郎、鈴木真一など、後の日本写真史を継承する多くの優れた弟子を輩出しました。

    *1 鵜飼玉川(うかいぎょくせん)…1807−1887年 写真師
    日本で最古の商業写真家とされる。下岡蓮杖よりもわずかに1年ほど早い1861年に肖像写真を撮影したとされる記録が福井松平藩の御用日誌にも残る。

    *2 上野彦馬( うえのひこま)…1838−1904年 写真師、蘭学者
    長崎医学伝習所に入所し、化学を学ぶなかで写真術と出会い、写真技法の研究に着手する。
    日本初の写真技法書をふくむ『舎密局必携』を記したことでも有名。

  • 正装した僧侶と二人の待僧
    下岡蓮杖
    文久三年-慶応三年頃
    鶏卵紙

    本作と同イメージの写真が《慶応三年離日 下岡蓮杖写真アルバム》にも収録されている。アルバムの写真は、書き込みから慶応三年四月二十一日(1867年5月24日)以前に制作されていることが分かっている。これまで蓮杖の風俗写真は、鶏卵紙を使い始めてから写真師としての活動を終える文久三(1863)年‐明治九(1876)年の13年間を制作時期とするしかなかったが、文久三(1863)‐慶応三(1867)年に絞る作例が発見されたといえる。この作例の発見により同イメージである本作の制作時期も5年間とすることができた。

    下岡蓮杖(1823-1914)
    江戸時代末期、開港とともに夜明けを迎えた日本の初期写真史において、最も重要な写真師の一人。日本人初の営業写真師としては鵜飼玉川*1 がわずかに早いものの、「写真開祖」の一人として日本写真界の第1世代を築いた人物です。同時期に活躍した長崎の上野彦馬*2 に対し、東の蓮杖とうたわれ、横山松三郎、臼井秀三郎、鈴木真一など、後の日本写真史を継承する多くの優れた弟子を輩出しました。

    *1 鵜飼玉川(うかいぎょくせん)…1807−1887年 写真師
    日本で最古の商業写真家とされる。下岡蓮杖よりもわずかに1年ほど早い1861年に肖像写真を撮影したとされる記録が福井松平藩の御用日誌にも残る。

    *2 上野彦馬( うえのひこま)…1838−1904年 写真師、蘭学者
    長崎医学伝習所に入所し、化学を学ぶなかで写真術と出会い、写真技法の研究に着手する。
    日本初の写真技法書をふくむ『舎密局必携』を記したことでも有名。

  • 行水
    下岡蓮杖
    文久三年-明治九年頃
    鶏卵紙
    現存する数少ない蓮杖によるヌード写真の1枚。蓮杖のヌード写真について森斧水による『黒船談叢』には、「写真について余り世間に知られていないことは、当時外国人が非常に女を好むというので下田の板部氏宅の裏に車つきの写場を作って、所謂春画らしいものを撮影外人に売込んだという様な話がある」と記されている。


    下岡蓮杖(1823-1914)
    江戸時代末期、開港とともに夜明けを迎えた日本の初期写真史において、最も重要な写真師の一人。日本人初の営業写真師としては鵜飼玉川*1 がわずかに早いものの、「写真開祖」の一人として日本写真界の第1世代を築いた人物です。同時期に活躍した長崎の上野彦馬*2 に対し、東の蓮杖とうたわれ、横山松三郎、臼井秀三郎、鈴木真一など、後の日本写真史を継承する多くの優れた弟子を輩出しました。

    *1 鵜飼玉川(うかいぎょくせん)…1807−1887年 写真師
    日本で最古の商業写真家とされる。下岡蓮杖よりもわずかに1年ほど早い1861年に肖像写真を撮影したとされる記録が福井松平藩の御用日誌にも残る。

    *2 上野彦馬( うえのひこま)…1838−1904年 写真師、蘭学者
    長崎医学伝習所に入所し、化学を学ぶなかで写真術と出会い、写真技法の研究に着手する。
    日本初の写真技法書をふくむ『舎密局必携』を記したことでも有名。

  • 大福帳で算盤の練習をする丁稚
    下岡蓮杖
    文久三年-明治九年頃
    鶏卵紙

    丁稚の持っている算盤は《長谷部友次郎像》のものと酷似している。モデルのポーズや背後にある屏風の配置など他にも共通する箇所が多い。蓮杖は職業や風俗を表現するために、象徴的ないくつかの小道具を写場に用意していたものと考えられる。

    下岡蓮杖(1823-1914)
    江戸時代末期、開港とともに夜明けを迎えた日本の初期写真史において、最も重要な写真師の一人。日本人初の営業写真師としては鵜飼玉川*1 がわずかに早いものの、「写真開祖」の一人として日本写真界の第1世代を築いた人物です。同時期に活躍した長崎の上野彦馬*2 に対し、東の蓮杖とうたわれ、横山松三郎、臼井秀三郎、鈴木真一など、後の日本写真史を継承する多くの優れた弟子を輩出しました。

    *1 鵜飼玉川(うかいぎょくせん)…1807−1887年 写真師
    日本で最古の商業写真家とされる。下岡蓮杖よりもわずかに1年ほど早い1861年に肖像写真を撮影したとされる記録が福井松平藩の御用日誌にも残る。

    *2 上野彦馬( うえのひこま)…1838−1904年 写真師、蘭学者
    長崎医学伝習所に入所し、化学を学ぶなかで写真術と出会い、写真技法の研究に着手する。
    日本初の写真技法書をふくむ『舎密局必携』を記したことでも有名。

  • 徳川家康の肖像画
    下岡蓮杖
    文久三年-明治九年頃
    鶏卵紙

    日本の風俗写真を多く手掛けた蓮杖であるが、《中島三郎助像》のように有名人を撮影した作例もある。本作は徳川家康の肖像画を描いて撮影したものである。断定することは難しいが肖像画も蓮杖筆だと考えられる。名刺判によって有名人を見ることが一般化したのち、歴史的人物を同一様式で見たいという求めに応じて制作された可能性もある。

    下岡蓮杖(1823-1914)
    江戸時代末期、開港とともに夜明けを迎えた日本の初期写真史において、最も重要な写真師の一人。日本人初の営業写真師としては鵜飼玉川*1 がわずかに早いものの、「写真開祖」の一人として日本写真界の第1世代を築いた人物です。同時期に活躍した長崎の上野彦馬*2 に対し、東の蓮杖とうたわれ、横山松三郎、臼井秀三郎、鈴木真一など、後の日本写真史を継承する多くの優れた弟子を輩出しました。

    *1 鵜飼玉川(うかいぎょくせん)…1807−1887年 写真師
    日本で最古の商業写真家とされる。下岡蓮杖よりもわずかに1年ほど早い1861年に肖像写真を撮影したとされる記録が福井松平藩の御用日誌にも残る。

    *2 上野彦馬( うえのひこま)…1838−1904年 写真師、蘭学者
    長崎医学伝習所に入所し、化学を学ぶなかで写真術と出会い、写真技法の研究に着手する。
    日本初の写真技法書をふくむ『舎密局必携』を記したことでも有名。

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