注目のコレクション

  東京都写真美術館

go江戸東京博物館   go東京都現代美術館   バックナンバー

  • 「植物の葉」<自然の鉛筆>より 
    ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット
    1844年
    カロタイプ

    ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが1839年に発表した、世界初のカメラレス・フォトグラフィ(カメラを使用しない写真)・プロセス。木の葉や鳥の羽、レースなどの対象物を薬品に浸した感光性のある紙の上に置き太陽光で露光すると、光を受けた部分が黒に変化し、黒と白が反転したネガ像を得ることができる。これを紙のネガとして使い、もう1枚の感光紙を密着させてポジ像をつくることができる。
    タルボットによる世界初の写真集『自然の鉛筆』シリーズは、2年間をかけて6冊刊行された。カロタイプのさまざまな使い方を実際のプリントをまじえて解説している。6冊の完全セットは、現在、世界に10セットしか現存しておらず、その1セットを東京都写真美術館が収蔵している。

  • 題不詳(娘の肖像・ネガ)
    ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット
    1841年
    カロタイプ

    1840年にウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが発明した、紙をベースにしたネガ・ポジ法。カロタイプの名は、ギリシア語で美を意味するカロスにちなんで付けられ、タルボタイプとも呼ばれる。ヨウ化カリウムと硝酸銀溶液を染みこませて感光性を与えた紙を、濡れている間にカメラに装着して撮影後、現像してネガをつくる。それを硝酸銀と食塩で処理した単塩紙に密着させて太陽光で焼き付けてポジをつくる。この技法によって複製が可能となり、19世紀から20世紀にかけて展開するアナログ写真印画の幕開けとなった。

  • 題不詳(娘の肖像・ポジ)
    ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット
    1841年
    カロタイプ

    1840年にウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが発明した、紙をベースにしたネガ・ポジ法。カロタイプの名は、ギリシア語で美を意味するカロスにちなんで付けられ、タルボタイプとも呼ばれる。ヨウ化カリウムと硝酸銀溶液を染みこませて感光性を与えた紙を、濡れている間にカメラに装着して撮影後、現像してネガをつくる。それを硝酸銀と食塩で処理した単塩紙に密着させて太陽光で焼き付けてポジをつくる。この技法によって複製が可能となり、19世紀から20世紀にかけて展開するアナログ写真印画の幕開けとなった。

  • 展望台からのナイアガラ滝の眺め
    プラット・D. バビット
    1855年
    ダゲレオタイプ

    昭和初期の観光写真として貴重な作品。バビットは1853年から70年までナイアガラで営業した。遠景に瀑水、中央に人物を配してピントを合わせ、近景に拡がりを与える。彼は周到な計算の元に講図をとり、顧客となるだろう人物を絶妙に配置している。
    ダゲレオタイプによる肖像写真がフランスよりも盛んに制作されたのは、アメリカである。ダゲレオタイプ公開の翌年春にはすでに、NYで最初の肖像写真館の広告を見つけることができる。この頃のアメリカは、37年の恐慌後の不況下にあった。しかし一旗揚げたい人々にとって、このニューメディアは大きなチャンスでもあった。この当時、ダゲレオタイピストと呼ばれた写真師には、大きく二つのタイプが存在していた。一つは地方を巡業する写真師。プラット・D・バビットのように、観光地で営業を取得し、訪れる人々を撮影して販売する者も現れた。もうひとつは、都会に豪奢なスタジオを構える起業家である。当時、アメリカにおける中産階級以上のほとんどが、その姿を銀板へ写し取るためにレンズの前に立ち、50年代には一大産業へと成長するのである。
    欧州では50年代中葉にダゲレオタイプのピークは過ぎ去り、次に発明されたガラスを用いるコロジオン湿板方式へと移行する。だが、アメリカ人にとってダゲレオタイプの輝きは重要であったようで、60年代まで広くこの方式が用いられる。また、家族を撮影したものが多く残る点も特徴である。

  • 題不詳(母と二人の子供の肖像)
    マシュー・ブレイディズ・スタジオ
    1860年代頃
    ダゲレオタイプ

    ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(仏)が1839年に公表した世界で最初の実用的な写真術。日本では「銀板写真」と呼ばれていた。よく磨いた銀メッキの銅版にヨウ素の蒸気をあて光を感じるようにした後、長時間露光による撮影をする。現像は水銀の蒸気で行い、非常にシャープでクリアな画像が現れる。1回の撮影で1点しかつくることができず、複製のためのネガはなかったが、発明当初から1850年代の中頃までは、タルボットが発明したカロタイプよりも注目され、期待が集まった。
    ダゲレオタイプによる肖像写真がフランスよりも盛んに制作されたのは、アメリカである。ダゲレオタイプ公開の翌年春にはすでに、NYで最初の肖像写真館の広告を見つけることができる。この頃のアメリカは、37年の恐慌後の不況下にあった。しかし一旗揚げたい人々にとって、このニューメディアは大きなチャンスでもあった。この当時、ダゲレオタイピストと呼ばれた写真師には、大きく二つのタイプが存在していた。一つは地方を巡業する写真師。プラット・D・バビットのように、観光地で営業を取得し、訪れる人々を撮影して販売する者も現れた。もうひとつは、都会に豪奢なスタジオを構える起業家である。当時、アメリカにおける中産階級以上のほとんどが、その姿を銀板へ写し取るためにレンズの前に立ち、50年代には一大産業へと成長するのである。
    欧州では50年代中葉にダゲレオタイプのピークは過ぎ去り、次に発明されたガラスを用いるコロジオン湿板方式へと移行する。だが、アメリカ人にとってダゲレオタイプの輝きは重要であったようで、60年代まで広くこの方式が用いられる。また、家族を撮影したものが多く残る点も特徴である。

  • フォトグラム
    ラスロ・モホイ=ナジ
    1922年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    フォトグラムはネガが存在しないので、本当は世の中に1枚きりのものである。しかし現実にはポートフォリオを作るためなど作品を複写する場合もあるので、同じイメージのフォトグラムが複数存在するケースが多い。この作品はオリジナルのフォトグラムである。
    彼は写真制作の初期に集中的にフォトグラムを行った。写真家であった妻のルチア・モホイとともに積極的にその実験を繰り返した。フォトグラムは従来の絵画とはまったく異なった視点を示しただけではなく、機械技術による芸術の可能性を打ち出していた構成主義の考え方も含んでいた。モホイ=ナジはそのほかにもフォトプラスティック(写真と線描からなるコラージュ、モホイ=ナジが好んだ呼称)や光線を巧みに画面に取り入れた作品などさまざまな表現を追求した。

  • 無題
    マン・レイ
    1926年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    最初にフォトグラムを制作したのはおそらく1921年の秋のことである。彼自身が語る言葉によればデザイナーのポール・ポワレの依頼によって撮影したファッション写真の現像中にこの技法が偶然に発見されたことになっている。
    フォトグラムはカメラを使わずに、印画紙の上に直接ものを置き、光をその上にあてて画像をつくりだす方法。立体のものがシルエットになると意外な形に変わって見えたり、光のあたった方向によって最初の形からは想像もつかないように変形をしたりする。写真が発明される以前の1834年にイギリスのウィリアム・ヘンリー・タルボットによってつくられたフォトジェニック・ドローイングもフォトグラムといっていいだろう。20世紀になってダダの芸術家であるクリスチャン・シャートやシュルレアリスムの作家などにも取り入れられた。マン・レイは自分の方法をオリジナルなものとして、レイヨグラムと名付けた。
    またドイツのバウハウスではモホイ=ナジの指導によりこの研究がなされ、彼は「光の流れを再現するもっとも完璧な方法」とみなしている。日本でも1930年頃から新興写真を中心に盛んに取り入れられた。

  • 題不詳 
    作家不詳
    1855-65年頃
    アンブロタイプ

    フレデリック・スコット・アーチャー(英)が1851年に発明した湿式コロジオン方式を利用してポジ画像を得る方式。感光材料を引き、乾かないように撮影・現像を行ったガラス板ネガの裏側に、黒い紙、布、塗料などを敷き光を遮ると、ネガ像が反転して見えることを利用した。1854年にアメリカのジェームス・アンブローズ・カッティングが「アンブロタイプ」という名称で特許を取ってから広く普及した。ダゲレオタイプの廉価版として特にアメリカで人気を博した。主に、肖像写真のメディアとして活用された。

ページTOPへ▲