注目のコレクション

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  • 北国の雨
    小関庄太郎
    1927年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    この作品は、さまざまなテクニックを複合的におこなう雑巾がけの典型的な事例としてあげられる。カメラの「フードはずし」をして撮影し、プリントの段階で「デフォルマシオン」によって中央の人物が細長く変形しており、またオイルを使って写真の不必要な部分をぼかし、その後に強調したい傘や人物の着物の部分などに鉛筆でレタッチ(書き起こし)が見られる。
    小関庄太郎は福島市で生まれ、以後ずっと地元で活動していたアマチュア写真家である。『芸術写真研究』のほか、『フォトタイムス』などに作品や技法解説記事を発表している。ベス単カメラによるソフトフォーカスのほか、デフォルマシオン、雑巾がけなどの技術を駆使しながらも、同じ福島県出身の画家、関根正二のように風土に根ざした素朴な味わいが感じられる。

  • ナンデェ!!
    ハナヤ勘兵衛
    1937年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    ゴーリキーの「どん底」を演じた三島政夫をモデルにしているフォトモンタージュの作品である。「組み立てる」という意味のフランス語montageから名前がついている。一つの画面に二つ以上の映像を重ねたり、合成したりした写真。激しい動きを大胆に組み合わせた写真からは鬱屈した社会状況に対する作家の気持ちが汲み取れる。
    ハナヤ勘兵衛は大阪生まれであるが、芦屋にスタジオを構えるまで満州やシンガポールなどアジアの都市を訪問し、上海には1年半滞在している。モダンで無国籍な感覚が写真から感じられるのはこの経験があるためかもしれない。フォトモンタージュの作品が印象的であるが、印画紙を斜めに横切るような構図の「船」のシリーズでバウハウスや構成主義の影響が感じられる。

  • 月の夢想
    平井輝七
    1938年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    壁を写した写真の上に、印刷物から切り取ったモチーフを貼り合わせ、手彩色を施している。シュルレアリストのマグリットのような、叙情性、夢幻性が感じられる。
    シュルレアリスムの影響は、日本にも波及している。新興写真のすぐ後に控えていた前衛写真とよばれた作品である。「丹平写真倶楽部」の中で、その傾向が強かった平井輝七や花和銀吾、本庄光郎であった。彼らは1937年に新たに「アヴァンギャルド・造影集団」を結成する。
    大阪の貴金属店の跡取りだった平井は20代の頃から「浪華写真倶楽部」や「丹平写真倶楽部」に所属、コラージュやモンタージュ、着色などの技法を使ったシュルレアリスムの色濃い作品を制作して、浪展、丹平展などに発表した。写真だけでなく油絵や水彩画も描いている。

  • モード
    平井輝七
    1938年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    この作品を発表する前年の1937年に花和銀吾らとともに「アヴァンギャルド・造影集団」を結成した。関西におけるシュルレアリスムの写真表現をリードしていった。
    大阪の貴金属店の跡取りだった平井は20代の頃から「浪華写真倶楽部」や「丹平写真倶楽部」に所属、コラージュやモンタージュ、着色などの技法を使ったシュルレアリスムの色濃い作品を制作して、浪展、丹平展などに発表した。写真だけでなく油絵や水彩画も描いている。

  • アジャンの風景、木と水の流れ
    ルイ・デュコ・デュ・オロン
    1872年
    エリオクロミィ

    世界最古のカラー写真印画。撮影や処理が複雑であったため、この方式は一般に普及はしなかった。フランスのルイ・デュコ・デュ・オロンにより作成されたものだけがエリオクロミィと呼ばれる。シアン(緑青)、マゼンタ(赤紫)、イエロー(黄)の顔料による3色画像を重ね合わせた減法混色カラー写真印画で、1868年に発表されたが、引き伸ばし可能な総天然色写真として完成するのは1900年頃である。

  • 海景
    ギュスターヴ・ル・グレイ
    1856年-1859年
    鶏卵紙

    画家出身のル・グレイは、この作品を含む一連の海をテーマとしたシリーズで画面上必要な空と海の表情を同時に撮ることができなかったため、別々に撮ってモンタージュをして作品を制作した。
    「組み立てる」という意味のフランス語montageから名前がついている。一つの画面に二つ以上の映像を重ねたり、合成したりした写真のことを指す。コラージュとの違いは、フォトモンタージュは基本的には暗室内においてネガを重ね合わせたり、数度に分けて現像することによって造られた作品であること。多くの芸術家が、自分こそこの技法の創始者であると名乗っているが、誰が最初に始めたのかはわかっていない。ただ、フォトモンタージュという言葉は、ダダの雑誌の編集者のラウル・ハウスマンがゲオルク・グロッス(ジョージ・グロス)らとともに選んだのが始まりとされている。写真をコラージュしたものをフォトモンタージュと呼ぶ場合もあり、このあたりの言葉の区別は曖昧である。

  • 題不詳「女性像」
    作家不詳
    1840年-1859年頃
    ダゲレオタイプ

    とても丁寧に人工着色された女性像。初期の写真には、このように人の手によって彩色が施され、美麗を与えられた作例が珍しくない。これはダゲレオタイプに限らず、アンブロタイプやアルビューメン・プリントにおいて継承される。
    ダゲレオタイプの写真が発明されたのは1839年だが、その直後からダゲレオタイプの銀板に直接色をつけた作品が現れている。銀板の上に油絵具などで頬や唇、洋服などを鮮やかな色で彩る。すぐにダゲレオタイプは次世代の技法であるアンブロタイプに移行していったが、同じようにガラス板の上に、絵具で色をつける行為も続いていた。これは結局、天然色フィルムとして1935年に「コダクルーム」が発売されるまで、さまざまな形で続いた。

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