注目のコレクション

  東京都写真美術館

go江戸東京博物館   go東京都現代美術館   バックナンバー

  • 題不詳
    黒川翠山
    c.1906

    撮影地は京都の比叡山である。伝統的な山水画の構図をストレートな写真でなぞるように表現した作品である。霧が漂う幽玄な杉木立の中に蓑笠をつけた男にポーズをつけて立たせ、長焦点レンズを使って撮影している。さらに絞りを開けることによって、東洋的な遠近法を疑似的に再現している。西欧とは異なった「絵画的効果」を標榜する日本の初期ピクトリアリズムを代表する傑作である。

  • 芦の月、琵琶湖
    黒川翠山
    n.d.

    月明かりが反射する水面に浮かぶ船に、前景としてシルエットでとらえた芦を配置したこの作品は、名所図会的な構成要素が見てとれる。原板は一枚のガラス乾板であるがおそらく二重露出によって合成したものと推察される。さらに、撮影は夜ではなく昼間である。露出を切り詰めることによって「夜景」を演出する方法は19世紀半ばにイタリアで確立してもので、多くの写真家がこの技法を使って夜景の名所を撮影している。

  • 水の響
    益子愛太郎
    1920

    第十回研展(1920年2月)で三等賞を獲得した作品。通常は紙の上にアラビア・ゴムと顔料と重クロム酸カリなどを混合した感光液を塗布するが、本作はキャンバスの布を使っているのがユニークである。オーソドックスな構図ではあるが、画面全体に光が満ち溢れた表現が特徴で、そこには澄明な自然観照の態度が見てとれる。これは益子が、愛友写真倶楽部の中にあって独自の位置を占めていることをうかがわせるものとなっている。

  • 少女――忙妹乃為に
    堺時雄
    1920

    1919年、東京美術学校臨時写真科に第5回生として入学した作者の在学中の作品。大正時代に一世を風靡した白樺派的なロマンティシズムが、少女の宗教的な感情に満ちた表情からうかがわれる。タイトルの「少女――忙妹乃為に」は、作品の裏面に自筆で鉛筆を使って書き込まれたものをそのまま使ったが、「忙」は「亡」の意味であると解釈される。おそらく単純な誤りであろう。

  • 邁進の意気
    堺時雄
    1922

    1922年の東京美術学校臨時写真科の卒業制作として制作されたと伝えられている。提出された写真科の卒業制作は同校での保存が未だ確認されておらず、この作品は作者が手元に残したものである。モデルは美術学校の学生であるという。作者は、即物的な身体表現ではなく、たくましい肉体を通して未来へと向かう若者の精神のありようを視覚しようとしたのではないだろうか。

  • 哲学
    堺時雄
    1920

    ゴム印画法で制作されたこの作品の裏面には、作者の自筆で「大正9年6月/・・・永生なる哉/永生なる哉/註 人死すとも/其事業は未来永遠に残る/大日本/東京美術学校/写真科第二学年/堺時雄」と記されている。技術的には未熟である感はまぬがれないが、芸術写真を志す若い学生の生硬で気負いに満ちた自意識がストレートの表現された作品として、日本のピクトリアリズム表現の位置を示していよう。

  • 哲人SUDA
    小林祐史
    1922

    京都で営業写真館を営みながらも、ピグメント印画法を駆使した多様な表現を展開した作者の初期の代表作。切り詰めたライティングで撮影し、それをゴム印画法の重厚な表現で仕上げたこの作品について作者は「光の本元である写真は多くの西洋画、とくにレンブラントから示唆を受けていた。演技を弄さない採光がもっとも適格に人物を表現する。この肖像では端的に哲人の風貌をとたえた」と述べている。

  • 小村直太郎君
    吉川富三
    1923

    作者は、野島康三の肖像表現を正当に受け継ぎながらも、独自の世界をもつ作品を数多く残している。人物の風貌を正面からとらえたこの作品には、対象の存在に肉薄してその精神性が余すところなく表現されている。またそのブロムオイル印画法の技術は、野島に匹敵する高度なもので、あたかも彫刻作品を思わせるような人物像を描き出している。

  • 時は過ぎゆく
    熊沢麿二
    1923

    1923年にイギリスで開催された王立写真協会の年次展に出品された作品。そのときの出品票が台紙に添付されていることから確認できる。極端なソフト・フォーカスな表現によるこの作品からは、生命のはかなさに対する作者のロマンティックな感情が見てとれはしないだろうか。自らが制作した装飾的な額に収められて伝世されており、このかたちで当時も展示されたのではないかと推測されている。

  • かげ
    熊沢麿二
    1924

    撮影地は、四国、高松の栗林公園内。1914年に小西本店が輸入を始めたウォーレンサック社(米)製のソフト・フォーカス・レンズであるヴェリトを使って撮影している。色収差と球面収差とを残したこのレンズは、これまでとは異なる芯のある軟焦点描写を特徴として多くと世界中のピクトリアリズムの写真家たちがこぞって使用した。白壁に映る樹の影の描写には、その特徴が効果的に現れている。


  • 熊沢麿二
    1924

    撮影地は、兵庫県たつの市の港町室津である。これもヴェリトのソフト・フォーカス・レンズを使って撮影している。この地は、瀬戸内海の要津で、日本最初の遊女町があったことで著名で、謡曲「室君」で知られている。作者は「街はもう古びてしまって頽廃そのものゝのやうな疲れ方」を撮影しようとこの地を訪れるが、それとは対照的な光に満ち溢れた岩場に遊ぶ天真爛漫に遊ぶ裸の子どもの姿を悦びに満ちた眼差しでとらえている。

ページTOPへ▲