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  • シリーズ「昭和史の風景 鬼哭の島」より 2007年
    江成常夫(えなり・つねお 1936-)

    シリーズ「昭和史の風景 鬼哭の島」より 2007年
    神奈川県に生まれる。1962年、東京経済大学経済学部を卒業後、毎日新聞東京本社に入社。74年よりフリーランスの写真家として活動をはじめる。フリーと同時に渡米し、ニューヨークに滞在、家族像などを撮影する。76年より日本人の家族を全国規模で撮影。78年に再び渡米し、カリフォルニアに在住する日本人の戦争花嫁を取材。その後、中国に取り残された日本人戦争孤児、孤児を生んだ旧満州、「ヒロシマ」など、一貫して「昭和の戦争」にかかわるテーマと向かい続ける作品を発表。閉ざされた記憶を呼び戻し、時代に語り継ぐための写真活動を続けている。77年、第27回日本写真協会新人賞、81年、第6回木村伊兵衛写真賞、85年、第4回土門拳賞、第52回毎日広告デザイン賞(公共福祉部門)受賞、95年、毎日芸術賞受賞、2002年、紫綬褒章受章他受賞歴多数。著書に『花嫁のアメリカ』(講談社、81年)、『シャオハイの満州』(集英社、84年)、『まぼろし国満州』『記憶の光景・十人のヒロシマ』(新潮社、95年)、『レンズに映った昭和』(集英社、05年)など。九州産業大学大学院教授。

  • シリーズ「昭和史の風景 鬼哭の島」より 2007年
    江成常夫(えなり・つねお 1936-)

    シリーズ「昭和史の風景 鬼哭の島」より 2007年
    神奈川県に生まれる。1962年、東京経済大学経済学部を卒業後、毎日新聞東京本社に入社。74年よりフリーランスの写真家として活動をはじめる。フリーと同時に渡米し、ニューヨークに滞在、家族像などを撮影する。76年より日本人の家族を全国規模で撮影。78年に再び渡米し、カリフォルニアに在住する日本人の戦争花嫁を取材。その後、中国に取り残された日本人戦争孤児、孤児を生んだ旧満州、「ヒロシマ」など、一貫して「昭和の戦争」にかかわるテーマと向かい続ける作品を発表。閉ざされた記憶を呼び戻し、時代に語り継ぐための写真活動を続けている。77年、第27回日本写真協会新人賞、81年、第6回木村伊兵衛写真賞、85年、第4回土門拳賞、第52回毎日広告デザイン賞(公共福祉部門)受賞、95年、毎日芸術賞受賞、2002年、紫綬褒章受章他受賞歴多数。著書に『花嫁のアメリカ』(講談社、81年)、『シャオハイの満州』(集英社、84年)、『まぼろし国満州』『記憶の光景・十人のヒロシマ』(新潮社、95年)、『レンズに映った昭和』(集英社、05年)など。九州産業大学大学院教授。

  • シリーズ「真珠の作り方」より2001-01年
    オノデラユキ(おのでら・ゆき 1962-)

    シリーズ「真珠の作り方」より2001-01年
    東京に生まれる。桑沢デザイン研究所を卒業。1991年、第1回写真新世紀優秀賞を受賞、写真家として活動をはじめ、93年より活動の拠点をパリに移す。2002年、日本写真協会新人賞、03年、「cameraChimeraカメラキメラ」により第28回木村伊兵衛写真賞を受賞。06年、フランスにおいて最も権威ある写真賞「ニエプス賞」を日本人で初めて受賞、同年上海美術館で個展を開催するなど、近年、国内外で高く評価されている。主なコレクションにポンピドゥーセンター、フランス国立図書館、サンフランシスコ現代美術館、ヒューストン美術館、栃木県立美術館、国立国際美術館、上海美術館、国際交流基金、東京工芸大学など。平成18年度東京都写真美術館新規重点収集作家に選出される。

  • シリーズ「真珠の作り方」より2001-01年
    オノデラユキ(おのでら・ゆき 1962-)

    シリーズ「真珠の作り方」より2001-01年
    東京に生まれる。桑沢デザイン研究所を卒業。1991年、第1回写真新世紀優秀賞を受賞、写真家として活動をはじめ、93年より活動の拠点をパリに移す。2002年、日本写真協会新人賞、03年、「cameraChimeraカメラキメラ」により第28回木村伊兵衛写真賞を受賞。06年、フランスにおいて最も権威ある写真賞「ニエプス賞」を日本人で初めて受賞、同年上海美術館で個展を開催するなど、近年、国内外で高く評価されている。主なコレクションにポンピドゥーセンター、フランス国立図書館、サンフランシスコ現代美術館、ヒューストン美術館、栃木県立美術館、国立国際美術館、上海美術館、国際交流基金、東京工芸大学など。平成18年度東京都写真美術館新規重点収集作家に選出される。

  • シリーズ「School Days」より 2004年
    澤田知子(さわだ・ともこ 1977-)

    シリーズ「School Days」より 2004年
    兵庫県神戸市に生まれる。2000年、西安造形大学卒業、翌年同大学研究生終了。自動証明写真機で400人に扮した「ID400」やお見合い写真を引用した「OMIAI」など、さまざまな変装をすることで、自分自身と現代をユーモアたっぷりに表現し、作品を通じて外見と内面との関係のあいまいさを観る者に問いかける。00年、キヤノン写真新世紀特別賞を受賞。04年、第29回木村伊兵写真賞、ニューヨーク国際写真センター(ICP)「インフィニティ・アワーズ」若手写真部門で受賞。主な著書に『ID400』(青幻舎、04年)、『OMIAI』(青幻舎、06年)、『School Days』(青幻舎、06年)、『MASQUERADE』(赤々舎、06年)など。

  • シリーズ「School Days」より 2004年
    澤田知子(さわだ・ともこ 1977-)

    シリーズ「School Days」より 2004年
    兵庫県神戸市に生まれる。2000年、西安造形大学卒業、翌年同大学研究生終了。自動証明写真機で400人に扮した「ID400」やお見合い写真を引用した「OMIAI」など、さまざまな変装をすることで、自分自身と現代をユーモアたっぷりに表現し、作品を通じて外見と内面との関係のあいまいさを観る者に問いかける。00年、キヤノン写真新世紀特別賞を受賞。04年、第29回木村伊兵写真賞、ニューヨーク国際写真センター(ICP)「インフィニティ・アワーズ」若手写真部門で受賞。主な著書に『ID400』(青幻舎、04年)、『OMIAI』(青幻舎、06年)、『School Days』(青幻舎、06年)、『MASQUERADE』(赤々舎、06年)など。

  • シリーズ「White」より
    鈴木理策(すずき・りさく 1963-)

    シリーズ「White」より
    和歌山県新宮市に生まれる。1987年、東京綜合写真専門学校研究科を終了後、米国各地を旅行し、90年代はじめより個展、グループ展を多数開催。1998年、故郷熊野の御灯祭(おとうまつり)への旅程をとらえた写真集『KUMANO』(光琳社出版)を出版、このころより鑑賞者に読み聞かせるように写真のシークエンスを組む作業を続けている。2000年には熊野の花窟神社の祭礼や青森・恐山を撮影した『PILES OF TIMES』で第25回木村伊兵衛写真賞を受賞する。聖地への関心は現在も一貫しており、2004年、セザンヌの描いたサント・ヴィクトワール山にカメラを向けた『Mont Saint Victore』を出版。2006年には東川賞国内作家賞、和歌山県文化表彰 文化奨励賞を受賞。2003年、ヒューストン美術館でのグループ展出品、2006年ニューヨークでの個展など、国際的に活躍の場をひろげ、2007年9月、東京都写真美術館にて「鈴木理策:熊野、雪、桜」を開催する。

  • シリーズ「White」より
    鈴木理策(すずき・りさく 1963-)

    シリーズ「White」より
    和歌山県新宮市に生まれる。1987年、東京綜合写真専門学校研究科を終了後、米国各地を旅行し、90年代はじめより個展、グループ展を多数開催。1998年、故郷熊野の御灯祭(おとうまつり)への旅程をとらえた写真集『KUMANO』(光琳社出版)を出版、このころより鑑賞者に読み聞かせるように写真のシークエンスを組む作業を続けている。2000年には熊野の花窟神社の祭礼や青森・恐山を撮影した『PILES OF TIMES』で第25回木村伊兵衛写真賞を受賞する。聖地への関心は現在も一貫しており、2004年、セザンヌの描いたサント・ヴィクトワール山にカメラを向けた『Mont Saint Victore』を出版。2006年には東川賞国内作家賞、和歌山県文化表彰 文化奨励賞を受賞。2003年、ヒューストン美術館でのグループ展出品、2006年ニューヨークでの個展など、国際的に活躍の場をひろげ、2007年9月、東京都写真美術館にて「鈴木理策:熊野、雪、桜」を開催する。

  • シリーズ「物草拾遺」より 1980-82年
    須田一政(すだ・いっせい 1940-)

    シリーズ「物草拾遺」より 1980-82年
    東京神田に生まれる。1962年、東京綜合写真専門学校を卒業後、寺山修司が主宰する演劇実験室「天井桟敷」の専属カメラマンを経て、71年よりフリーの写真家として活動を始める。6x6判のフォーマットを自在に操る須田のスタイルは『カメラ毎日』に75年から断続的に連載された「風姿花伝」シリーズにおいて確立され、同作品によって76年に日本写真協会新人賞を受賞する。79年に刊行された『わが東京100』では生まれ育った東京神田をはじめ東京の下町を舞台とした作品を発表、一見何気ない日常を切り取った作品からは、人の記憶の断片をのぞき見るような非現実的な風景像を確立し、その姿勢は初期から現在にかけて変わらなく続いている。83年、「物草拾遺」により日本写真協会年度賞を受賞、97年、「人間の記憶」により第16回土門拳賞を受賞。大阪芸術大学写真学科教授。

  • シリーズ「物草拾遺」より 1980-82年
    須田一政(すだ・いっせい 1940-)

    シリーズ「物草拾遺」より 1980-82年
    東京神田に生まれる。1962年、東京綜合写真専門学校を卒業後、寺山修司が主宰する演劇実験室「天井桟敷」の専属カメラマンを経て、71年よりフリーの写真家として活動を始める。6x6判のフォーマットを自在に操る須田のスタイルは『カメラ毎日』に75年から断続的に連載された「風姿花伝」シリーズにおいて確立され、同作品によって76年に日本写真協会新人賞を受賞する。79年に刊行された『わが東京100』では生まれ育った東京神田をはじめ東京の下町を舞台とした作品を発表、一見何気ない日常を切り取った作品からは、人の記憶の断片をのぞき見るような非現実的な風景像を確立し、その姿勢は初期から現在にかけて変わらなく続いている。83年、「物草拾遺」により日本写真協会年度賞を受賞、97年、「人間の記憶」により第16回土門拳賞を受賞。大阪芸術大学写真学科教授。

  • シリーズ「A Bird/Blast」より 1991-2006年
    畠山直哉(はたけやま・なおや 1958-)

    シリーズ「A Bird/Blast」より 1991-2006年
    岩手県に生まれる。84年、筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了。大辻清司に写真を学び、在学中から新しい感性で注目を集める。80年代後半から日本各地の石灰石鉱山、そして鉱山と東京の往復のなかで見いだした都市の相貌を被写体に、無人の光景をカラー写真で捉えた作品が評価を得、97年、「都市のマケット」「LIME WORKS」により第22回木村伊兵衛写真賞を受賞、以降はヴェネツィア・ビエンナーレへの参加、国内外で個展を開催するなど、現代日本を代表する写真家として国際的に活躍する。近年はイギリス滞在を経て、工場の蒸気や車の窓ガラス一面についた水滴など、形の定かではないもの、循環するものもテーマに撮影する。平成18年度東京都写真美術館新規重点収集作家に選出される。

  • シリーズ「A Bird/Blast」より 1991-2006年
    畠山直哉(はたけやま・なおや 1958-)

    シリーズ「A Bird/Blast」より 1991-2006年
    岩手県に生まれる。84年、筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了。大辻清司に写真を学び、在学中から新しい感性で注目を集める。80年代後半から日本各地の石灰石鉱山、そして鉱山と東京の往復のなかで見いだした都市の相貌を被写体に、無人の光景をカラー写真で捉えた作品が評価を得、97年、「都市のマケット」「LIME WORKS」により第22回木村伊兵衛写真賞を受賞、以降はヴェネツィア・ビエンナーレへの参加、国内外で個展を開催するなど、現代日本を代表する写真家として国際的に活躍する。近年はイギリス滞在を経て、工場の蒸気や車の窓ガラス一面についた水滴など、形の定かではないもの、循環するものもテーマに撮影する。平成18年度東京都写真美術館新規重点収集作家に選出される。

  • シリーズ「輝ける文士たち」より 1947-60年
    樋口 進(ひぐち・すすむ 1922-)

    シリーズ「輝ける文士たち」より 1947-60年
    1943年、東京写真専門学校(現・東京工芸大学)を卒業、学徒出陣で満州にわたり、45年に復員し、名取洋之助、木村伊衛兵のもとでフリーカメラマンとなり、53年、文藝春秋社に入社し、写真部を創設する。54年から58年まで、ヘリコプターで日本各地を空撮、「文藝春秋」での連載をまとめた『空から見た日本』を60年に刊行する。写真の仕事以外に講演会、紀尾井町文春ビルの建設管理、文士劇などの祭事や出版界のパーティー、冠婚葬祭などの仕事にも携わった。82年、文藝春秋社を退社し、現在は社友。20年代末から文士たちを撮影し続け、2007年、写真集『輝ける文士たち』を刊行する。作家や評論家、画家、漫画家などの写真が集成されており、ビジュアルな戦後文壇史としても貴重な書となった。

  • シリーズ「輝ける文士たち」より 1947-60年
    樋口 進(ひぐち・すすむ 1922-)

    シリーズ「輝ける文士たち」より 1947-60年
    1943年、東京写真専門学校(現・東京工芸大学)を卒業、学徒出陣で満州にわたり、45年に復員し、名取洋之助、木村伊衛兵のもとでフリーカメラマンとなり、53年、文藝春秋社に入社し、写真部を創設する。54年から58年まで、ヘリコプターで日本各地を空撮、「文藝春秋」での連載をまとめた『空から見た日本』を60年に刊行する。写真の仕事以外に講演会、紀尾井町文春ビルの建設管理、文士劇などの祭事や出版界のパーティー、冠婚葬祭などの仕事にも携わった。82年、文藝春秋社を退社し、現在は社友。20年代末から文士たちを撮影し続け、2007年、写真集『輝ける文士たち』を刊行する。作家や評論家、画家、漫画家などの写真が集成されており、ビジュアルな戦後文壇史としても貴重な書となった。

  • シリーズ「メモワール」より 1978-07年
    古屋誠一(ふるや・せいいち 1950-)

    シリーズ「メモワール」より 1978-07年
    1950年静岡県生まれ。東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒業。写真家。73年にシベリア経由でヨーロッパに向かい、各地に点在し、87年以降はオーストリアのグラーツを拠点に活動を開始。オーストリアに隣接する国々の国境地帯やベルリンの壁など、さまざまな「境界」を問う作品を制作する。フォルム・シュタットパルクの活動や、『カメラ・オーストリア』誌の編集にも参加し、日本の写真家をヨーロッパに紹介するなど、幅広い活動を展開している。主な著作に、80年に滞在したアムステルダムからなる写真集『AMS』、また、78年に結婚し85年に自ら命を絶った妻クリスティーネの肖像やヨーロッパ各地を撮影した『Memoires』、 『Seiichi Furuya Memoires 1995』などがある。02年、「Last Trip to Venice」により第27回伊奈信男賞を受賞、04年、さがみはら写真賞を受賞、07年、「Memoires 1983」により第19回写真の会賞を受賞。国内外の美術館でのグループ展、個展を多数開催。平成18年度東京都写真美術館新規重点収集作家に選出される。

  • シリーズ「メモワール」より 1978-07年
    古屋誠一(ふるや・せいいち 1950-)

    シリーズ「メモワール」より 1978-07年
    1950年静岡県生まれ。東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒業。写真家。73年にシベリア経由でヨーロッパに向かい、各地に点在し、87年以降はオーストリアのグラーツを拠点に活動を開始。オーストリアに隣接する国々の国境地帯やベルリンの壁など、さまざまな「境界」を問う作品を制作する。フォルム・シュタットパルクの活動や、『カメラ・オーストリア』誌の編集にも参加し、日本の写真家をヨーロッパに紹介するなど、幅広い活動を展開している。主な著作に、80年に滞在したアムステルダムからなる写真集『AMS』、また、78年に結婚し85年に自ら命を絶った妻クリスティーネの肖像やヨーロッパ各地を撮影した『Memoires』、 『Seiichi Furuya Memoires 1995』などがある。02年、「Last Trip to Venice」により第27回伊奈信男賞を受賞、04年、さがみはら写真賞を受賞、07年、「Memoires 1983」により第19回写真の会賞を受賞。国内外の美術館でのグループ展、個展を多数開催。平成18年度東京都写真美術館新規重点収集作家に選出される。

  • シリーズ「Stranger」より 1990-2000年
    横溝 静(よこみぞ・しずか 1966-)

    シリーズ「Stranger」より 1990-2000年
    東京に生まれる。89年、中央大学哲学科を卒業後渡英し、ロンドンチェルシー芸術デザイン大学院でファインアートを専攻。立体、写真、ビデオ作品を制作する。若手作家を発掘するトリノのアートフェア「Artssima2001」でグランプリに選ばれる。その後、ロンドン・テートブリテン、シカゴ現代美術館、ニューヨーク国際写真センター(ICP)、ヴェネツィア・ビエンナーレへ2003の参加など多くの展覧会に参加する。また、ロンドンや日本のみならず、アメリカ、スペイン、イタリアでも個展を開催。

  • シリーズ「Stranger」より 1990-2000年
    横溝 静(よこみぞ・しずか 1966-)

    シリーズ「Stranger」より 1990-2000年
    東京に生まれる。89年、中央大学哲学科を卒業後渡英し、ロンドンチェルシー芸術デザイン大学院でファインアートを専攻。立体、写真、ビデオ作品を制作する。若手作家を発掘するトリノのアートフェア「Artssima2001」でグランプリに選ばれる。その後、ロンドン・テートブリテン、シカゴ現代美術館、ニューヨーク国際写真センター(ICP)、ヴェネツィア・ビエンナーレへ2003の参加など多くの展覧会に参加する。また、ロンドンや日本のみならず、アメリカ、スペイン、イタリアでも個展を開催。

  • Cherry Blossom time in Tokyo 2000
    マーティン・パー(1952-)

    Cherry Blossom time in Tokyo 2000
    イギリス、ロンドンに生まれる。マンチェスター大学で写真を学び、卒業後1975年よりダブリンの芸術大学をはじめ英国各地で教鞭をとる。ニューカラーの旗手と評され、そのユニークな作品には社会を見つめる独特のセンスが現れている。写真展の取り組みも早く74年から英国はもとよりアメリカ、ヨーロッパ、日本、中国などで開催している。ニューヨークの近代美術館をはじめパリ、ロンドン、東京の各美術館にコレクションされている。写真集も数多く出版し、近年では「Home and Abroad」(93年)「Small World」(95年)「Common Sense」(99年)などがよく知られている。「Common Sense」は、東京のアニエス・bギャラリーで写真展が行われ、その後日本各地のショップを巡回した。BBCのテレビ番組も手がけている。88年よりマグナムに参加、現在は正会員。2002年、ロンドンのバービカン・アートセンターにて大規模な集大成展を開催し、評判を呼んだ。07年7月、東京都写真美術館にて日本初の大規模な個展「Fashion Magazine」を開催。

  • シリーズ「幕間」より 2006年
    狩野志歩(かのう・しほ 1974-)

    シリーズ「幕間」より 2006年
    東京に生まれる。イメージフォーラム映像研究所第21期、22期卒業。1996年よりフィルム及びビデオインスタレーション、写真作品を手がける。メディアシティ・フェスティバル(カナダ、00年)グランプリ、イメージズ・フェスティバル(カナダ、01年)ベスト・インターナショナル・フィルム・アワードなどの受賞の他、山形国際ドキュメンタリー映画祭(01年)、オーバーハウゼン国際短編映画祭(ドイツ、01年)、ロッテルダム国際映画祭(オランダ、01-03、05年)など作品は15カ国以上の映画祭、美術館等で上映されている。05-06年、武蔵野美術大学「パリ」賞受賞、野村国際文化財団助成、文化庁新進芸術家海外留学制度により、渡仏、パリ国際芸術都市にてレジデンス。

  • シリーズ「tableaux」より 2001-05年
    小野祐次(おの・ゆうじ 1963-)

    シリーズ「tableaux」より 2001-05年
    福岡県に生まれる。大阪芸術大学写真学科卒業後、渡仏。95年フランスの政府機関、フランス歴史建造物保存基金の依頼により、17世紀の歴史的建造物シェリー館を撮影。99年、「Zeitgenossische Fotokunst aus Japan」展(NBK、ベルリン)、2000年「Contemporary Photographers of Japan Chine」(Shanghai Sanya Photograph Gallery)、01年、オフトリエンナーレ横浜など国際的なグループ展に多数参加。05年、アルル国際写真フェスティバルの招待作家に選出され、06年にはヨーロッパ写真美術館(パリ)で個展を開催、パリ在住。

  • シリーズ「tableaux」より 2001-05年
    小野祐次(おの・ゆうじ 1963-)

    シリーズ「tableaux」より 2001-05年
    福岡県に生まれる。大阪芸術大学写真学科卒業後、渡仏。95年フランスの政府機関、フランス歴史建造物保存基金の依頼により、17世紀の歴史的建造物シェリー館を撮影。99年、「Zeitgenossische Fotokunst aus Japan」展(NBK、ベルリン)、2000年「Contemporary Photographers of Japan Chine」(Shanghai Sanya Photograph Gallery)、01年、オフトリエンナーレ横浜など国際的なグループ展に多数参加。05年、アルル国際写真フェスティバルの招待作家に選出され、06年にはヨーロッパ写真美術館(パリ)で個展を開催、パリ在住。

  • シリーズ「白馬SHIROUMA」より 1991-06年
    菊池哲男(きくち・てつお 1961-)

    シリーズ「白馬SHIROUMA」より 1991-06年
    東京都に生まれる。立教大学理学部物理学科卒業。14歳から独学で写真をはじめ、20歳より山岳写真に傾倒する。写真家兼ライターとして雑誌の同行取材を行い、山岳専門誌やカレンダー、ポストカードなどに作品を発表。2001年には月刊『山と溪谷』誌の表紙を1年間担当する。山岳スキーの分野でもヨーロッパアルプス最高峰モンブランをはじめ、モンテローザやオートルート、そしてカナダのロジャースパスなど国内外で300ルートを越える滑降取材を行う。
     著書に、北アルプスの白馬岳、唐松岳の四季をまとめた『美しき山稜』(アドミックス、99年)、『スキーツアー』(山と溪谷社、01年)、10年以上も通い続け、10万点を越えるカットから厳選した代表作『白馬 SHIROUMA』(山と溪谷社、05年)がある。また『決定版 日本百名山 登山ガイド』(山と溪谷社、2000年)、『日本10名山』(東京新聞出版局、02年)、『YAMAP 日光・那須・谷川岳』(山と溪谷社、05年)など共著多数。

  • シリーズ「白馬SHIROUMA」より 1991-06年
    菊池哲男(きくち・てつお 1961-)

    シリーズ「白馬SHIROUMA」より 1991-06年
    東京都に生まれる。立教大学理学部物理学科卒業。14歳から独学で写真をはじめ、20歳より山岳写真に傾倒する。写真家兼ライターとして雑誌の同行取材を行い、山岳専門誌やカレンダー、ポストカードなどに作品を発表。2001年には月刊『山と溪谷』誌の表紙を1年間担当する。山岳スキーの分野でもヨーロッパアルプス最高峰モンブランをはじめ、モンテローザやオートルート、そしてカナダのロジャースパスなど国内外で300ルートを越える滑降取材を行う。
     著書に、北アルプスの白馬岳、唐松岳の四季をまとめた『美しき山稜』(アドミックス、99年)、『スキーツアー』(山と溪谷社、01年)、10年以上も通い続け、10万点を越えるカットから厳選した代表作『白馬 SHIROUMA』(山と溪谷社、05年)がある。また『決定版 日本百名山 登山ガイド』(山と溪谷社、2000年)、『日本10名山』(東京新聞出版局、02年)、『YAMAP 日光・那須・谷川岳』(山と溪谷社、05年)など共著多数。

  • シリーズ「世界の野生動物」より 2001-06年
    前川貴行(まえかわ・たかゆき 1969-)

    シリーズ「世界の野生動物」より 2001-06年
    東京都に生まれる。私立和光高等学校を卒業。エンジニアとしてコンピュータ関連企業に勤務。97年より田中光常の助手を務める。2000年よりフリーの動物写真家として活動を開始。日本、カナダ、アラスカを主なフィールドとして内外の野生動物の世界をテーマに撮影に取り組む。自然に対する純粋な好奇心と、深い洞察力により自然と動物の関係性をドラマチックに表現した作品群は高い評価を得ている。
     野生のクマに魅了されて以来、アラスカ、カナダ、北海道に生息するクマの撮影を続け、それらの作品を04年、個展「Hey! BEAR」をキヤノンサロン(東京、札幌ほか)で発表。著作に、北極圏に近いカナダ北部で暮らすホッキョクグマの貴重な生態をとらえたフォトCD『極北の王者ホッキョクグマ』(2002年、メディアファイブ)、ホッキョクグマの家族を紹介した写真絵本『こおりのくにのシロクマおやこ』(2003年、ポプラ社)、ホッキョクグマ、グリズリーなど北米と日本の5種類のクマを収めた『Bear World  クマたちの世界』(2007年、青菁社)がある。

  • シリーズ「世界の野生動物」より 2001-06年
    前川貴行(まえかわ・たかゆき 1969-)

    シリーズ「世界の野生動物」より 2001-06年
    東京都に生まれる。私立和光高等学校を卒業。エンジニアとしてコンピュータ関連企業に勤務。97年より田中光常の助手を務める。2000年よりフリーの動物写真家として活動を開始。日本、カナダ、アラスカを主なフィールドとして内外の野生動物の世界をテーマに撮影に取り組む。自然に対する純粋な好奇心と、深い洞察力により自然と動物の関係性をドラマチックに表現した作品群は高い評価を得ている。
     野生のクマに魅了されて以来、アラスカ、カナダ、北海道に生息するクマの撮影を続け、それらの作品を04年、個展「Hey! BEAR」をキヤノンサロン(東京、札幌ほか)で発表。著作に、北極圏に近いカナダ北部で暮らすホッキョクグマの貴重な生態をとらえたフォトCD『極北の王者ホッキョクグマ』(2002年、メディアファイブ)、ホッキョクグマの家族を紹介した写真絵本『こおりのくにのシロクマおやこ』(2003年、ポプラ社)、ホッキョクグマ、グリズリーなど北米と日本の5種類のクマを収めた『Bear World  クマたちの世界』(2007年、青菁社)がある。

  • シリーズ「森の瞬間」より 2001-06年
    林 明輝(りん・めいき 1969-)

    シリーズ「森の瞬間」より 2001-06年
    神奈川県に生まれる。18歳より独学で写真をはじめ、日本の風景写真をテーマにカメラ雑誌等で作品を発表する。1995年より、新潟県糸魚川市と長野県小谷村にまたがる名峰・雨飾山(あまかざりやま)を取材し、個展「あまかざり」(98年)として発表する。日本列島の水の姿に挑み、水の美しさや水の醸し出す独特の風景を追った「水のほとり」(01年)、同じく列島の森林を歩き続けた「森の瞬間」(04年)を、それぞれ富士フォトサロンで開催する。
     著書に『あまかざり』『水のほとり』(98年・01年、共に愛育社)、『森の瞬間』(04年、小学館)などがある。03年、株式会社明琳を設立、代表取締役となる。マミヤカメラクラブ講師を務める傍ら、写真教室・輝望フォトグラファーズを主宰。05年、国際野生写真連盟(IFWP)主催の「ネイチャーフォト・ブック・オブザイヤー05」グランプリに『森の瞬間』が選出される。日本写真家協会会員、日本自然写真家協会評議員。

  • シリーズ「森の瞬間」より 2001-06年
    林 明輝(りん・めいき 1969-)

    シリーズ「森の瞬間」より 2001-06年
    神奈川県に生まれる。18歳より独学で写真をはじめ、日本の風景写真をテーマにカメラ雑誌等で作品を発表する。1995年より、新潟県糸魚川市と長野県小谷村にまたがる名峰・雨飾山(あまかざりやま)を取材し、個展「あまかざり」(98年)として発表する。日本列島の水の姿に挑み、水の美しさや水の醸し出す独特の風景を追った「水のほとり」(01年)、同じく列島の森林を歩き続けた「森の瞬間」(04年)を、それぞれ富士フォトサロンで開催する。
     著書に『あまかざり』『水のほとり』(98年・01年、共に愛育社)、『森の瞬間』(04年、小学館)などがある。03年、株式会社明琳を設立、代表取締役となる。マミヤカメラクラブ講師を務める傍ら、写真教室・輝望フォトグラファーズを主宰。05年、国際野生写真連盟(IFWP)主催の「ネイチャーフォト・ブック・オブザイヤー05」グランプリに『森の瞬間』が選出される。日本写真家協会会員、日本自然写真家協会評議員。

  • 「男と女 #9」1959年
    細江英公(ほそえ・えいこう 1933-)

    「男と女 #9」1959年
    山形県に生まれる。1954年、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)を卒業。在学中の51年、「富士フォトコンテスト(学生の部)」で「ポーディちゃん」が最高賞を受賞。卒業後、フリーの写真家として活動をはじめ、写真雑誌、女性雑誌に写真を発表する。写真評論家福島辰夫の主宰する「十人の眼」展に参加、その後、奈良原一高、東松照明、川田喜久治らと写真家集団「VIVO」を結成。60年、肉体をオブジェとしてとらえる斬新な写真表現を試みた「男と女」を発表、63年は作家・三島由紀夫をモデルとした「薔薇刑」を発表、その名声を不動のものにした。70年には東北を舞台に舞踏家・土方巽を撮った「鎌鼬」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。88年、紫綬褒章を受章。03年には英国王立写真協会創立150年記念特別勲章も受章。95年より清里フォトアートミュージアム館長をつとめる。07年、第49回毎日芸術賞を受賞。東京都写真美術館重点収集作家の一人。

  • シリーズ「パーティ」より 1980-90年
    土田ヒロミ(つちだ・ひろみ 1939-)

    シリーズ「パーティ」より 1980-90年
    福井県に生まれる。1963年、福井大学工学部を卒業、ポーラ化粧品本舗の開発部に勤務しながら東京綜合写真専門学校で写真を学ぶ。71年、退社し以後フリーランスの写真家として活動を開始する。同年、個展「自閉空間」(ニコンサロン、東京)に対して、第8回太陽賞を受賞する。74年、ニューヨーク近代美術館で開催の「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィ」展に出品。日本の土俗的な文化、ヒロシマ、高度経済成長、バブル経済などのテーマを通して、変貌する日本の姿を撮り続ける。78年、個展「ヒロシマ1945-1979」に対して伊奈信男賞を受賞。主な著書に『俗神』(オットーズブック社、76年)、『ヒロシマ1945-1979』(朝日ソノラマ、79年)、『砂を数える』(冬青社、90年)、『パーティー』(アイピーシー、90年)、『ヒロシマ・コレクション』(日本放送出版協会、95年)など。東京都写真美術館重点収集作家の一人。

  • シリーズ「パーティ」より 1980-90年
    土田ヒロミ(つちだ・ひろみ 1939-)

    シリーズ「パーティ」より 1980-90年
    福井県に生まれる。1963年、福井大学工学部を卒業、ポーラ化粧品本舗の開発部に勤務しながら東京綜合写真専門学校で写真を学ぶ。71年、退社し以後フリーランスの写真家として活動を開始する。同年、個展「自閉空間」(ニコンサロン、東京)に対して、第8回太陽賞を受賞する。74年、ニューヨーク近代美術館で開催の「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィ」展に出品。日本の土俗的な文化、ヒロシマ、高度経済成長、バブル経済などのテーマを通して、変貌する日本の姿を撮り続ける。78年、個展「ヒロシマ1945-1979」に対して伊奈信男賞を受賞。主な著書に『俗神』(オットーズブック社、76年)、『ヒロシマ1945-1979』(朝日ソノラマ、79年)、『砂を数える』(冬青社、90年)、『パーティー』(アイピーシー、90年)、『ヒロシマ・コレクション』(日本放送出版協会、95年)など。東京都写真美術館重点収集作家の一人。

  • 浪華写真倶楽部より
    浪華写真倶楽部より 津田洋甫

    1904(明治37)年1月、写真材料商桑田商会の後援で大阪に創立されたアマチュア写真家集団。横山錦渓、石井吉之助、米谷紅浪が初期のメンバー。大正期にかけてはピクトリアリズムを志向していたが、30(昭和5)年、第19回浪展に出品された小石清の作品を機に、新興写真運動のグループへと急変。シュルレアリスム的傾向を加えた前衛写真運動を繰り広げた。戦中、戦後の中断はあるものの、関東の東京写真研究会と並んで、現在まで存続する日本における最古の写真団体のひとつで、津田洋甫、高田誠三らが活躍している。

  • 長崎のパノラマ 1872年
    内田九一 (うちだ・くいち1844〜1875)

    長崎のパノラマ 1872年
    長崎に生まれる。両親と死別し、伯父である蘭方医・吉雄圭斎に養われた。吉雄から基本的な医学および薬学の知識を習得したと考えられる。松本良順との関わりから、医学伝習所に出入りし、外国人等から写真技術を習得したと考えられる。のち、上野彦馬写真局で修行したが、この時すでに写真に関する知識・技術があったと考えられている。やがて、神戸、大阪を経て江戸へ向かい、1868年3月には、横浜馬車道へ出店。翌年、浅草に支店を出し、東都随一と謳われる。
    1871年には、横山松三郎を補佐して旧江戸城を撮影。翌1872年には天皇に随伴して西国の巡幸地を撮影するほか、束帯姿、直衣・金巾姿、洋式軍服の天皇、および皇后の肖像を制作した。1875年2月17日肺結核により死去、享年・32歳。

  • 天皇(明治)肖像 1872年
    内田九一 (うちだ・くいち1844〜1875)

    天皇(明治)肖像 1872年
    長崎に生まれる。両親と死別し、伯父である蘭方医・吉雄圭斎に養われた。吉雄から基本的な医学および薬学の知識を習得したと考えられる。松本良順との関わりから、医学伝習所に出入りし、外国人等から写真技術を習得したと考えられる。のち、上野彦馬写真局で修行したが、この時すでに写真に関する知識・技術があったと考えられている。やがて、神戸、大阪を経て江戸へ向かい、1868年3月には、横浜馬車道へ出店。翌年、浅草に支店を出し、東都随一と謳われる。
    1871年には、横山松三郎を補佐して旧江戸城を撮影。翌1872年には天皇に随伴して西国の巡幸地を撮影するほか、束帯姿、直衣・金巾姿、洋式軍服の天皇、および皇后の肖像を制作した。1875年2月17日肺結核により死去、享年・32歳。

  • 皇后(明治)肖像 1872年
    内田九一 (うちだ・くいち1844〜1875)

    皇后(明治)肖像 1872年
    長崎に生まれる。両親と死別し、伯父である蘭方医・吉雄圭斎に養われた。吉雄から基本的な医学および薬学の知識を習得したと考えられる。松本良順との関わりから、医学伝習所に出入りし、外国人等から写真技術を習得したと考えられる。のち、上野彦馬写真局で修行したが、この時すでに写真に関する知識・技術があったと考えられている。やがて、神戸、大阪を経て江戸へ向かい、1868年3月には、横浜馬車道へ出店。翌年、浅草に支店を出し、東都随一と謳われる。
    1871年には、横山松三郎を補佐して旧江戸城を撮影。翌1872年には天皇に随伴して西国の巡幸地を撮影するほか、束帯姿、直衣・金巾姿、洋式軍服の天皇、および皇后の肖像を制作した。1875年2月17日肺結核により死去、享年・32歳。

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