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  • 雨のしずく
    クラレンス・ハドソン・ホワイト
    1908年
    フォトグラビア印刷

    こどもや身近な人々に対して注がれる思いやりに満ちたまなざしは、ホワイトの表現の根幹をなすものであるが、ここに見られる感性には都市的なモダニズムが写し出されている。

    クラレンス・ハドソン・ホワイト(1871-1925)
    オハイオ州生まれ。写真は独学で学ぶ。スティーグッツとともにアメリカにおけるピクトリアリズムの中心的役割を果たす。コロンビア大学で教職につき、1914年には自ら写真学校を設立した。この学校の出身者には、次世代の多くの優れた写真家が含まれている。

  • 果樹園
    クラレンス・ハドソン・ホワイト
    1905年
    フォトグラビア印刷

    風俗画を思わせる人物を巧みに配した構図には、中西部の勤勉さを重んじる地方性に根差した感性が溢れ、ピクトリアリズムの典型的は表現が見て取れる。

    クラレンス・ハドソン・ホワイト(1871-1925)
    オハイオ州生まれ。写真は独学で学ぶ。スティーグッツとともにアメリカにおけるピクトリアリズムの中心的役割を果たす。コロンビア大学で教職につき、1914年には自ら写真学校を設立した。この学校の出身者には、次世代の多くの優れた写真家が含まれている。

  • ピヤック、ヴァーナル滝、300フィート、ヨセミテ
    カールトン・ユージン・ワトキンズ
    1861年
    鶏卵紙

    ワトキンズは、アメリカ人が「風景」に対して抱くイメージの表象化に成功したと評される。確かに手前の水面と連なる岩石の塊が滝へと連続し、後方の山岳へ抜ける構図は、意図して構成された。いわゆるアメリカ人が好きな風景画を思わせる。

    カールトン・ユージン・ワトキンズ(1829-1916)
    ニューヨーク州生まれ。1851年ダゲレオタイプ技師となる。写真師として独立直後にヨセミテ渓谷を撮影、州立公園化へ貢献した。65年にカリフォルニア州の公式写真家になり、「ヨセミテ・アート・ギャラリー」を開いた。

  • インスクリプション・ロックの南側、ニューメキシコ州
    ティモシー・ヘンリー・オサリヴァン
    1873年
    鶏卵紙

    ジョージ・ウィラー調査隊に同行して、撮影された。地質学的正確さを優先したオサリヴァンの写真には、他の写真家と異なり、冷徹で知的な距離感がある。しかし、逆にそれが荒涼とした風景を神秘的で畏怖すべき画面としている。

    ティモシー・ヘンリー・オサリヴァン(1840-1882)
    ニューヨーク州生まれ。10代からマシュー・B.ブレイディのスタジオに出入りし、21歳で南北戦争に従軍するブレイディ写真隊に参加した。1867年以降、地質調査に同行して南部や南西部を撮影した。79年に合衆国地質調査の写真家に任命されたが結核を患い、調査への同行を辞去。42歳で没した。

  • 《アイスバーグ・キャニオン、コロラド川より》
    ティモシー・ヘンリー・オサリヴァン
    1871年
    鶏卵紙

    ジョージ・ウィラー陸軍中尉の調査隊に同行して、撮影された。ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコなどの地図作製や地質調査を目的としたもので、軍事的な色彩の強い調査だった。スタジオ商業写真を嫌ったオサリヴァンにとってフロンティアはまさに新天地だった。

    ティモシー・ヘンリー・オサリヴァン(1840-1882)
    ニューヨーク州生まれ。10代からマシュー・B.ブレイディのスタジオに出入りし、21歳で南北戦争に従軍するブレイディ写真隊に参加した。1867年以降、地質調査に同行して南部や南西部を撮影した。79年に合衆国地質調査の写真家に任命されたが結核を患い、調査への同行を辞去。42歳で没した。

  • エブラハム・リンカーン
    マシュー・ブレイディ・スタジオ
    1860年代前半
    ティンタイプ

    1860年に大統領に当選したリンカンが、演説のためにニューヨークに訪れた際、肖像をマシュー・B・ブレイディが撮影した。これを元にした石版画が新聞に掲載され、反響を呼んだ。本作はこの頃に制作された石版画をティンタイプによって複写したものと考えられる。

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