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  • 満州特急
    大久保好六
    1933年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    特急列車を背景に、当時の政治家のポートレイトをモンタージュしたこの作品は、満州事変を背景にした時代状況への風刺が感じられる。この作品は1932年9月28日号の『アサヒグラフ』に発表された。

    大久保好六(1900-1936年)
    栃木県に生まれる。15歳で東京の伊東写真館に入門。小林写真館を経て、1921年に朝日新聞社に入社し、初めは新聞写真を撮影していたが、23年に同新聞社のグラフ雑誌『アサヒグラフ』が創刊されると、そのスタッフ・カメラマンとなる。26年に矢野嘉一郎らと「黎光会」を結成し、ブロムオイルによるピクトリアリズムの写真を制作、写真雑誌などに投稿して高い評価を得る。一方、1930年代に入ると『アサヒグラフ』に都市の情景を描写したルポルタージュ写真やロシア構成主義の影響を思わせる風刺的なフォト・モンタージュなどを発表した。36年に満州国を紹介する英文写真集『Manchu Kou: A Pictorial Record』のために満州に派遣される。しかし同地で腎臓を患い、帰国後の36年に死去。

  • (台の上の椿)
    島村逢紅
    1937年
    ゼラチン・シルバー・プリント

    セザンヌの静物画のような構図の作品。アマチュアであったが全日本写真連盟の結成と同時に関西本部委員になり指導者として役割もはたした。

    島村逢紅(1890-1944年)
    和歌山県の酒造業の家に生まれる。若い頃から洋画に興味を持ち、上京して慶應義塾大学に入学するがすぐに中退。1904年に和歌山で「明光写友会」を結成し、アマチュア写真家として活動を始める。12年に同会を発展的に解消して「木国写友会」を結成し、年に一回の定期展を開催するなど旺盛に活動した。写真雑誌の月例や日本写真美術展などの公募展で入賞、入選を重ね、評価を確立した。26年に全日本写真連盟の結成と同時に関西本部委員に就任。30年には福原信三を中心とする「日本写真会」の同人にも推挙され、指導者としても活動を始める。39年に初めての個展を東京の資生堂ギャラリーで開催し、高い評価を受けた。

  • 睡蓮
    エミーユ・ヨワキム・コンスタン・ピュヨー
    1920-1929年頃
    フレッソン印画

    風景画では印象派風の効果を好み、ソフトフォーカスレンズを自ら開発した。また徹底して印画紙に手を加えた。

    エミーユ・ヨワキム・コンスタン・ピュヨー(1857-1933)
    1857年フランス、モルレーに生まれる。パリ写真クラブに所属し、もとはフランス軍の指揮官で、第一次世界大戦にも従軍していた。1880年代の半ばに写真を始め、ドマシーとともにゴム印画法の技術書も出版している。

  • 風景
    エミーユ・ヨワキム・コンスタン・ピュヨー
    1924年
    ゴム印画

    風景画では印象派風の効果を好み、ソフトフォーカスレンズを自ら開発した。また徹底して印画紙に手を加えた。

    エミーユ・ヨワキム・コンスタン・ピュヨー(1857-1933)
    1857年フランス、モルレーに生まれる。パリ写真クラブに所属し、もとはフランス軍の指揮官で、第一次世界大戦にも従軍していた。1880年代の半ばに写真を始め、ドマシーとともにゴム印画法の技術書も出版している。

  • 魚売り
    フランク・メドウ・サトクリフ
    1880-89年頃
    ゼラチン・シルバー・プリント

    サトクリフはスタジオを経営するかたわら、風景写真や風俗写真を撮影した。彼の活躍したホイットビーは漁村で、画家や写真家が多く住んでいた。サトクリフの作品の多くは海や水辺がモチーフとされている。

    フランク・メドウ・サトクリフ(1853-1941)
    1853年英国、ヘディングリイに生まれる。父親は写真や動版画も手がける画家であった。
    1941年に没するまでホイットビーの風景や住人、漁師たちを生活感あふれる作風で記録した。作品のなかに裸体を撮ったものがあったため、1886年教会から破門される。
    リンクト・リングの15人いる創立メンバーのひとり。

  • 私の子供
    エンネ・ビールマン
    1931年頃
    ゼラチン・シルバー・プリント

    フランツ・ローの友人で写真を独学で学ぶ。「映画と写真・国際展」など重要な展覧会にも出品しているが、評価を受け始めた矢先に病気により35歳で亡くなってしまった。表現における光の効用に注目し、身近な人物や日常の見慣れた風景を被写体にし、その内部に潜む新たな魅力を引き出した。

    エンネ・ビールマン(1898-1933)
    ドイツ、ライン川下流のゴッホに生まれる。ピアノを学び、写真は独学。
    「現代写真」展や「映画と写真国際展」など、多くの重要な展覧会に出品する。彼女は、美術史家で写真家でもあるフランツ・ローの友人であり、レンゲル=パッチュらの実験的造形写真に多くの影響を受ける。表現における光の効用に注目し、身近な人物や日常の見慣れた事物を被写体として、その内部に潜む新たな魅力を引き出すことに優れていた。
    国際的な評価を獲得し始めた頃、不治の病を患い、35歳で夭折した。

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