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  • 作品(穴)
    嶋本昭三
    1928 大阪に生まれる
    1947 吉原治良に師事
    1950 関西学院大学卒業
    1954 具体美術協会に結成に参加
    1962 個展(大阪、グタイピナコテカ)
    2013 兵庫県西宮市で死去

    作品(穴)
    1950年頃
    白ペンキ、鉛筆/新聞紙
    194x130.6cm

    無残に破れ傷ついた画面が眼前にある。何か手荒な力が加えられた表面は、亀裂や穴となり、画面の向こう側をのぞかせる。めくれた表面の下からは古新聞が顔を出し、穴からは重なった新聞の断層が見え隠れする。人の手によって作りだされた傷痕と、そこから生まれる表層と内層の複雑なマテイエールは、むしろ豊かな表現効果を生みだしている。
     作家としてのスタートを切ったばかりの嶋本昭三は、当時経済的な理由から新聞紙を何枚も重ね、糊でかためた私製カンヴァスを使って絵を描いていた。ある時、その上を何度となく力を込めて鉛筆で線描を引くうちに、古新聞に鉛筆は突き刺さり、穴が偶然に生まれていたという。作家の激しい行為がそのまま凍結されたようなこの「穴」の連作に、厳しい師であった吉原治良も惜しみない賞賛をおくったらしい。後に彼らが創設する「具
    体美術協会」の理念にも通じる、人間と物質との激しい格闘の跡を見るような本作品は、数年後機関紙『具体』の創刊号を飾っている。

  • OTOMI
    中ハシ克シゲ
    1990年

    1955 香川県に生まれる
    1985 最初の個展(神戸、トアロード画廊)
    1990−91 個展「松のある風景」(東京、村松画廊/大阪、信濃橋画廊)
    1992−93 個展「NIPPON cha cha cha」(大阪、AD&Aギャラリー/東京、ギャラリー日
    鉱)
         大阪府在住

    西洋近代の彫刻概念への懐疑から出発した中ハシは、植木、鯉、和傘、力士(小錦)といった「日本的なもの」の典型をモチーフとして取り上げた立体作品を制作してきた。「板塀越しに見る松」を表すこの作品は、日本文化の型としての風景であり、タイトルからも明らかなように「お富の松」として知られる、歌舞伎『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)の名場面を想起させる。しかし作家の関心は、こうした日本的な典型、文化的なアイデンティティを記号的に取り扱うことによって、社会が共有する意識や記憶に働きかけ、「自然」と見なされるものに隠れた人為性、文化的な歪みやズレを提起することにある。銅線の松葉、鉄による枝や板塀のもつ乾いた印象は、日本文化に言及しつつも、そこにまつわる情緒性を巧みに排除し、ありふれたものを異物として提示する作用をもっている。

  • 弐(天功星浪子)
    1962年
    白髪一雄
    油彩/カンヴァス
    181×276cm

    略歴
    1924 兵庫県尼崎に生まれる
    1948 京都市立絵画専門学校日本画科卒業
    1955 具体美術協会の会員になる
    1959 「第11回プレミオ・リソーネ国際美術展」買上賞受賞
    1962 個展(ギャルリ・スタトラー、パリ)
    1965 「第8回日本国際美術展」優秀賞受賞
    1985 個展(兵庫県立近代美術館)
    1993 個展 (ミディ=ピレネ現代美術センター、フランス)
    1997 個展(福岡市美術館)
    2001 個展(兵庫県立近代美術館)
    2008 尼崎にて死去
    2009 回顧展(安曇野市豊科近代美術館、長野)

    〈具体美術協会〉の主要メンバーであり、早くから国際的にも高い評価を得ていた白髪一雄は、学生時代には日本画を専攻していたが、卒業後は洋画に転向した。岩絵具に制約を感じ、油絵具の持つ色彩の輝き、とりわけ「流動性」に魅かれたからである。油絵具のダイナミックな流動感を出すために、最初はパレットナイフで絵具を塗りつけていたが、それが素手にとって代わり、最終的には素足を使って絵を描いた。1954年、いわゆる「フット・ペインティング」の誕生である。床に特大のカンヴァスを広げ、天井から下がったロープに掴まり足で絵具の上を滑ってゆく。描くという行為そのものの軌跡が、明確に画面の上に残されるという点において、日本におけるアクション・ペインティングの典型とされてきた。具体が解散した後、多くの作家がそれまでと違った新たな表現を模索した中で、白髪は「アクション・ペインティングこそ自分の芸術表現と信じて疑わず」、一筋にこの手法で制作を続けている。本作品のタイトルは、白髪が好んだ『水耕伝』の英雄の名前。

  • 作品
    元永定正
    1922 三重県上野に生まれる
    1938 三重県立上野商業学校卒業
    1955 具体美術協会の会員になる
    1957 個展(大阪、阪急百貨店洋画廊)
    1959 「第11回プレミオ・リソーネ国際美術展」買上賞受賞
    1980 「高松次郎・元永定正展」(国立国際美術展)
    2011 兵庫県宝塚市にて死去


    作品
    1962年
    エナメル/カンヴァス
    173x274cm

    何かが眼前で破裂し、その中から大量の絵具がカンヴァスに流出していくかのようだ。緩慢な動きが画面全体に拡がり、ゆるやかな曲線が生み出された。赤、黄、緑といった原色のエナメル絵具を使用することで、油絵具にはない軽快な調子が現れている。どこかユーモラスな右側の瓢箪形と左の細い流線は、1960年代に元永が特に好んで使った型であり、この二つを組み合わせて数々の作品が生み出された。1955年から1971年の長きにわたって具体美術協会の主要メンバーとして活躍した元永は、1959年頃に独自の「流し」という技法で新境地を開いた。これは日本画の「たらしこみ」の技法を応用したもので、床置きしたカンヴァス上に絵具を落とし、カンヴァスを傾けて流していく手法である。絵具の量、カンヴァスの傾斜の度合いによって、絵具の軌跡が福雑な曲線を描き出す。一見、偶発的な意匠のようだが、「明確なフォルムが底にある。つまり下絵がある」。フォルムに対する元永の鋭敏な感覚が見事に表現された一枚。

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