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  • 森の象の窯の死
    戸谷成雄
    1989年

    1947 長野県に生まれる
    1974 最初の個展(東京、ときわ画廊)
    1975 愛知県芸術大学大学院彫刻専攻科修了
    1988 「第43回ヴェネツィア・ビエンナーレ」に出品
    1991 「構造と記憶―戸谷成雄、遠藤俊克、剣持和夫」(東京都美術館)に出品
    1992 個展「村から」(芦屋市立美術博物館)
    1993 個展「戸谷成雄 山―村―森」(久万町立久万美術館)
       埼玉県在住

    1970年代に彫刻の在り方を彫刻制作を以て問う仕事をしてきた戸谷成雄は1984年から「森」を主題とする作品を制作している。戸谷にとって「森」は彼が求めていた彫刻構造そのものであった。即ち、塊でありながら視線を通す集合体的構造をもち、輪郭(表面)が合間で周囲の空間と内部は互いに行き交う交流に満ちているのだ。この作品も≪森シリーズ≫の1点で、空間との境界を複雑なものにする表面を覆う荒々しいチェーンソーの削り跡、34本の木柱からなる集合的な構造は「森」との近似性を感じさせる。象を連想させる姿は制作過程で自然に出現してきたものだという。しかし、「窯」「象」「森」は作者の中で結びついている。連なる登り窯の丸みが象の背の丸みに、さらにそれが森の輪郭の丸みに重ねられている。「森」は戸谷の彫刻の在り方を代弁し、「象」は像になる以前のかたち、立ち会われつつある未分化な部分をもった象(かたち)である。そして「窯」は森を焼き尽くすものとして死を含意している。

  • Figure B No.25
    榎倉康二
    1984年

    1942 東京に生まれる。
    1966 東京芸術大学絵画科油画専攻卒業
    1970 「第10回日本国際美術展 人間と物質」(旧東京都美術館他)に出品
    1975 東京芸術大学助教授
    1978/ 80 「第38/ 39回ヴェネツィア・ビエンナーレ」二種ピン
    1994 「近作展14 榎倉康二」国立国際美術館
    1995 東京にて死去

    白い綿布に黒いアクリルがにじんだ、モノクロームの世界、にじみは布の縫い目を越えて斜めに進み、一種光沢を帯びた黒の帯は圧倒的な存在感を持つ。それはまるで雨上がりのアスファルト道路の表面のようである。光沢のある黒からつやを失った層、褐色から無地の層へとにじみは段階的に広がり、見る者は時間の経過に伴う浸透を追体験し、そして綿布にアクリルをまく作家の存在、身体性を感じる。榎倉は<もの派>とは一線を画しながら、本質的に外界(現実世界、事物、風景)と内界(身体、知覚、感性)との触れ合い、交流を追究してきた。1970年代初頭から紙に廃油をしみ込ませるという状況的な展示やパフォーマンス中心に活動していた彼は、70年代後半から平面に取り組みはじめる。この≪Figure≫シリーズは80年代当初よりはじまり、「Figure」とは事物の総体的な姿であって、絵画それ自体ではなく、それを囲む空間を含めた世界であると彼は言う。この作品も展示の度に彼自身と展示空間、素材(綿布、アクリル)との豊かな緩衝地帯を生み出すのである。

  • 自動車の中の人喰
    若林奮
    1966年

    1936 東京に生まれる
    1959 東京芸術大学彫刻家卒業
    最初の個展(東京、みつぎ画廊)
    1960 「第45回二科展」に出品
    1968 「第1階インド・トリエンナーレ」に出品
    1975 武蔵野美術大学状教授、1984年より同大教授
    1980 「第39回ヴェネツィア・ビエンナーレ」に出品
    1986 「第42回ヴェネツィア・ビエンナーレ」に出品
    2003 死去

    熱されて流体となった鉄が冷えて固まる時、その大きさ、形、表面の材質感等には無限の可能性が生まれる。若林は、自己の作品を自然界の流転と循環の一瞬が固定された姿とみなして、一貫して鉄という自然の代表的素材から様々な表情を引き出してきた。
     この≪自動車の中の人喰≫は、若林が60年代中頃に多用していた技法によるもので、鉄材を溶接してかたまりを作り、それをグラインダーで研削してひとつの形態を作り出したものである。当時若林は人間について、また、自動車の内と外における自分の立場の違いと不安定さについて考えることが多かったので、このような形態と題名に落ち着いたという。作品の下部の台にあたる部分は、1966年、1973年、1983年と展覧会に応じて3度改変されている。既存作品にも手を加え、その時の自分の心境を鉄という素材に託しつつ制作を続けてきた若林の足跡は、戦後日本の立体造形を語るうえで欠くことはできない。

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