注目のコレクション

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  • スワンの午睡
    高柳恵里
    1997年
    雑巾

    1980年代半ばから発表を重ねている高柳の仕事は、常に物と行為のかかわりを「たずねる」性格を持っている。手がかりをつかんで所在の明らかでないものをさがし求めること。私たちが彼女の作品に対峙したときの感覚もこれに近いかもしれない。そこに漂う様子や気配、質感や表情へのひっかかり、知っているはずだが何かが違うようだ、という微かな感覚が、その作品と私たちを結び付ける。
    その作品は、常に個人的な気づきから始まるという。気になる事物と出会い、「その物のもつ複雑さを簡単にしないように」向き合い、扱うことで、物についてある事態が生じる―扱われたものの質がまざまざと現れてくる―そのようなプロセスの全体が、作品を成り立たせている。《スワンの午睡》や《緑園》においては、雑巾やハンカチといった素材の「複雑さ」を、素材に応じて注意深く扱う手ごたえの中から、自身が「見るべきもの」と認めた事態を提示するのである。
    作家は、制作において、物と自身を、それぞれがまとっている言葉や意味から「解放」し、「それだけが持つ固有の感触を持つもの、独立したもの」を実感したいと言う。私たちは、身の回りにある事物のありさまやそれとの関わり方を、ごく自然に判断しすぎているかもしれず、高柳の作品は、その判断を逆に照らし出すものといえよう。

  • White Discharge(建物のように積み上げたもの)#4
    金氏徹平


    《White Discharge(建物のように積み上げたもの)#4》2009年

    《white heat》1997-2009年

    写真:木奥恵三 
     

    2000年代に活動を始めた金氏徹平(1978-)は、コラージュや立体、写真、舞台美術など、多彩な表現手段を持つ作家。断片を接続していくコラージュの手法をベースに、「絶えず動き続けているもの」への関心をもとに様々な試行がなされている。
    〈White Discharge〉のシリーズは、既製品や自然物などを集積し、上から白色の石膏や樹脂で覆う作品。ここでは作家独自のルール(素材やサイズなど)に従って物たちが集められており、それを統べるのが、白色(の物体)である。作家にとって、白は、「色・余白として有ると同時に無色・空白として無い」ものであるといい、個々の物の差異や陰影を消し去ると同時に、物質として凝固の表情(時間が止まったような感覚)を見せる。「(彫刻として)二次元と三次元の間で動き続けるものを作りたい」という目的に適うものとして、制作において重要な役割を担っている。《white heat》は、1997年より継続中の、様々な所で作家が捕らえた「白」を含む場面からなる作品。「白」という共通項=ルールに基づき本来離れたところにある事物を連ねていくことで、意味づけから離れ、固有の仕方で存在するような事物の層、あるいは、均一な白いかたちからなる層が姿を現す。
    「常に動きながら進んでいくものとして世界を考える」と言う金氏の作品には、二次元と三次元を重層的に流動する断片を束の間繋げ、捕らえようとする―しかしそれは依然、常に、断片にとどまり、動き続ける―性格が見て取れる、まさに私たちの時代のコラージュとも言うべき作品群である。

  • 大正十二年九月一日
    鹿子木孟郎
    1924年
    油彩/カンヴァス
    156×204cm

    1874 岡山県に生まれる。
    十代の頃は、松原三五郎の天彩学舎と小山正太郎の不同舎で洋画を学ぶ。
    1900 渡航、翌年フランスで歴史画家ジャン=ポール・ローランスに師事するため、アカデミー・ジュリアンに入学。
    1906 再渡仏。1907年と1908年のサロン官設展覧会に入選。
    1908 関西美術院長となる。
    1915 3度目のフランス留学。
    1918 帰国後、京都下鴨にアカデミー鹿子木下鴨家塾を開く。
    1932 フランス政府より、レジオン・ド・ヌール(シュヴァリエ)勲章が贈られる。
    1934 鹿子木孟郎画伯還暦記念会から画集を刊行。
    1941 京都にて死去。

    暗雲が立ち込め炎が燻るなか、瓦礫を踏みしめ家財道具を携えて黙々と歩を進める人たち。大正12年9月1日に起こった関東大震災の情景を、洋画家鹿子木孟郎が大画面に描写したのが本作品である。当時京都在住であった鹿子木は震災の報を受け、近所に住む日本画家池田遥邨と連れ立って上京し、悲惨な震災の光景をコンテやカメラ等で速写した。当館には、そうしたスケッチが50点収蔵されている。鹿子木はスケッチや写真で捉えたモチーフを再構成し、この大画面にまとめあげた。1900年以降3度にわたるフランス留学を果たした鹿子木は、歴史画家ジャン=ポール・ローランスに師事することで、アカデミックな素養を十分に培ってきた。その鹿子木にあって、日本でいかに油彩による歴史画を構想するかという課題に対し、突如遭遇したこの大事件は、これまでに蓄えた技量を基に、絵画の在り方を問う機会でもあったといえよう。未曾有の悲劇に直面した画家は、冷静な眼差しで描写した素材を基に、確かな記録を後世に伝達するという機能を備えた絵画を創り上げたのである。

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