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  • ワンダフル・ワールド
    マーレイ、エリザベス
    1988年
    油彩/カンヴァス
    342.9×221.0×101.6cm
    撮影:ジェフリー・クレメンツ

    1940 アメリカ, イリノイ州シカゴで生まれる
    1964 ミルズ・カレッジ大学院修了
    1975 個展(ニューヨーク, ポーラ・クーパー・ギャラリー)
    1977 プリンストン大学で教える
    1978-79 イェール大学で教える
    1987 個展(ダラス美術館)
    ニューヨーク在住

    1970年代後半のアメリカでは、それまでの禁欲的で厳格な表現が飽和点に達するに従って、絵画というメディアが再び力を獲得し、具体的なイメージも取り上げられるようになった。エリザベス・マーレイは、ボロフスキーやバートレットと並び、このような動きを担った画家の一人である。その作風は、四角いカンヴァスを鮮やかな色彩とユーモラスな形態によって構成した半抽象絵画から、複数のシェイプト・カンヴァスを組み合わせて具体的なモティーフを大胆に展開した絵画を経て、三次元的なヴォリュームを加えたレリーフ絵画へと展開してきた。身近なモティーフに漫画を連想させる大胆なデフォルメを加え、感情のドラマに満ちた絵画表現へと昇華させる一連の作品は、今日の絵画芸術についての最も肯定的なマニフェストの一つである。《ワンダフル・ワールド》はレリーフ絵画の大作で、コーヒーカップ、受皿、スプーンがモティーフである。作家は、セザンヌの絵画に触発されたこのモティーフを繰り返し取り上げている。赤い強い色の偏平な筒として表現された巨大なカップと受皿が、斜め下へ向かって迫り出してくるダイナミックな躍動感は圧巻であり、代表作の一つに数えられよう。

  • メランコリックなキャンプ
    キア,サンドロ
    1982年
    油彩/カンヴァス
    290×404cm
    Copyright: Sandro Chia / VAGA, New York & SPDA, Tokyo, 2010

    1946 イタリア,フィレンツェに生まれる
    1967−69 フィレンツェ,アカデミア・ディ・ベッレ・アルテイで学ぶ
    1971 最初の個展(ローマ,ガレリア・ラ・サリタ)
    1983 個展(アムステルダム市立美術館)
    1988「第43回ヴェネツィア・ビエンナーレ」に出品
       アメリカ,ニューヨーク及びイタリア,モンタルチーノ在住

    キアは1980年代初頭に興った新しい具象絵画の動き(イタリアではトランスアヴァングアルディアと呼ばれる)の代表的作家である。この作品にも見られるように、寒色と暖色の対比と横溢する筆致に覆われた艶やかな画面を作りだす。多くの作品において、画面の主人公は作家の心象的自画像ともみなすべき人物で、丸みを帯び、ヴォリュームのある地中海的豊かさをもつ人体が重力から切り離されて浮遊している。ここでは人物はテントの下に横たわっているが、唐突に置かれた両側の巨大な絵画、前景中景の曖昧な関係などによる空間の錯綜が、かれの特徴である均衡を欠く構成をもたらしていると言えよう。また巨大な絵画は、明らかに彼が強く影響を受けているデ・キリコを連想させ、過去の美術から日常の事物まで、異種のものを自在に、偶発的私的に引用・並置している。そこに、物語風で詩情を漂わせながら、表層的で解釈の奥行きをもたない画面を演出する「引用者」の姿がうかがわれる。 (Y.W.)

  • オーヴァーキャストI
    ラウシェンバーグ,ロバート
    1962年
    油彩,シルクスクリーン/カンヴァス
    246.4×182.8cm
    Copyright: Estate of Robert Rauchenberg / VAGA, New York & SPDA, Tokyo, 2009


    1925 アメリカ、テキサス州ポート・アーサーに生まれる
    1949−1952 アート・スチューデンツ・リーグで学ぶ
    1951 最初の個展(ベティ・パーソンズ・ギャラリー、ニューヨーク)
    1963 回顧展(ジューイッシュ・ミュージアム、ニューヨーク)
    1964 「第32回ヴェネチア・ビエンナーレ」で最優秀賞を受賞
    1966 個展(ニューヨーク近代美術館)
    1976 回顧展(ニューヨーク近代美術館)
    1982 個展(原美術館、東京・ニューヨーク近代美術館)
    1986 個展(ROCIプロジェクト)(世田谷美術館、東京)
    1987 個展(メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
    2008 フロリダ州キャプティヴァ島にて死去

     1950年代に廃品を貼りつけたカンヴァスに荒々しく絵具を塗った一群の「コンバイン.ペインティング」を制作したラウシェンバーグは、1962年には、新聞や雑誌、自身が撮影した写真などの映像をシルクスクリーンによってコラージュ風に画面に導入した「シルクスクリーン・ペインティング」に着手する。同時期にこの技法を開発していたウォーホルに触発されたといわれている。その最初期のこの作品でも、様々な映像が抽象表現主義的なブラッシュストロークを介在させて一見無造作に構成されている。ロケットや鉄工所、力強く握られた手など技術や産業を思わせるイメージと、黒々とした海の映像との併置、あるいは激しいブラッシュワークとシルクスクリーンによる機械的な転写・反復という技法の混交は、人為と自然との対比といった主題を想起させるが、モノクロームに還元された様々なイメージの集積は、あらゆる事象を包含して巨大に成長したアメリカ社会そのものを彷彿させる。

  • ウェスタン
    ルッシェ、エドワード
    1968年
    油彩/カンヴァス
    152.4×137.6cm
    ©Ed Ruscha

    1937 アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハに生まれる
    1956 ロサンジェルス、シュイナード・アート・インスティテュートに入学
    1963 最初の書物『26のガソリン・スタンド』を自費出版
    ロサンジェルス、フェラス・ギャラリーで最初の個展
    1982 サンフランシスコ近代美術館で回顧展「エドワード・ルッシェの作品」(ホイットニー美術館,ロサンジェルス・カウンティ美術館等に巡回)
    カルフォルニア州ロサンジェルス在住

    青い地の上に、透明な液体が溜まっているのが、トロンプ・ルイユ風にリアルに描かれている。この液体の形を注意深く見ていると、絵のタイトルと同じ、「Western」というアルファベットの連なりが、かろうじて見分けられるだろう。この「文字」の右側には、鮮やかな色のガラスのビー玉が二つ、影を落としており、また青色の地は上方に向かって暗色へとグラデーションしている。しかし、「西部」とか「西方」とか言う意味の「Western」という単語とのつながりを窺わせるような要素は、絵のなかには何も認められない。ルッシェは、形象・映像としての文字・言葉を、早くから自分の中心的なテーマとしてきた。文字・言葉にとって、その外皮である形象・映像は、実体のない記号を現実世界に定着するための単なる容器にすぎないはずである。だが、この外皮が絵画として芸術化されると、記号としての伝達性は希薄になっていく。1960年後半に描かれた、液体によって文字を形象化した連作においては、映像と記号がある意味で二律背反的な性格を持つことがよく示されている。つまり、一方に意識が集中されると、他方は消え去るのである。こうして実現された、意味という深奥を欠いた切れ目のない完全な表層性は、映像と言語の双方に向けられたニヒリスティックな不信の眼差しを、よく体現している。

  • 赤・黄・青
    ケリー,エルズワース
    1966年
    油彩/カンヴァス
    165.3×495.8cm(3枚パネル)
    Copyright: Ellsworth Kelly

    1923 アメリカ、ニューヨーク州ニューバーグに生まれる
    1946−48 ボストン美術館学校で学ぶ
    1948−54 フランスに滞在
    1956 ニューヨークで最初の個展(ベティ・パーソンズ・ギャラリー)
    1973 回顧展(ニューヨーク近代美術館)
    1982 回顧展「エルズワース・ケリーの彫刻」(ホイットニー美術館、ニューヨーク)
    1987 回顧展「エルズワース・ケリー 版画回顧展」(デトロイト美術館、ミシガン)
    1992 個展(ジュードポーム・ナショナル・ギャラリー、パリ)
       「ドクメンタ9」展(ドイツ、カッセル)に出品。
    ニューヨーク在住

    抽象表現主義の隆盛が続く1940年代終わりから50年代の約6年間をフランスで過ごしたことが、アメリカの戦後美術におけるケリーの位置づけを独特のものにしている。彼はそこでダダやシュルレアリスムを検討し、オートマティスムやコラージュを試みた。この時代最も注目すべき手法は窓枠や影をそのまま写しとって描いたトレース絵画であり、そこには自らの創出した構図ではなく既にあるものを利用する、前衛的な制作態度をみることができる。
     アメリカに戻ったケリーは、フランク・ステラやジャスパー・ジョーンズが違う経路を辿って同じ結論に至ったことに驚いたという。その後の作品は全く物を再現しないものになり、カラー・パネル絵画といわれる一連の作品が制作されるようになる。そこでは偶然に決められた配色と光学的な振幅をひきおこさない均一な色調によって、具体的な現実としての色を定着することが目指された。この作品でも、やや明るめの明度に均衡した三原色が我々の視界を圧し広げるかのようにしてその領分を保ち続けている。

  • サヨン(莎詠)
    奈良 美智
    2006年 
    アクリル/カンヴァス 
    146×112.5cm 
    2006年度購入
    Copyright: Yoshitomo Nara 

    《サヨン(莎詠)》と題されたこの作品に描かれた女の子は、何かを抗議しかけて言いよどんでいるような少し不機嫌そうな口元で、つり目の大きな瞳の強い眼差しをこちらに向けている。その表情は、見る側の感情を反映させつつ少し悲しそうにも見えることもあれば、強い怒りをぶつけているようにも見える。少し切ない感情のゆらぎというような、いつの間にか忘れ去ってしまった子供の頃の心を呼び覚ましてくれる懐かしさをも感じさせるこうした女の子は、作家本人が自らの姿を仮託したものであるとともに、孤独な現代人の姿を反映しているとも言われている。一見単純で漫画的に見える表現の根底には、丹念に塗り重ねられた色彩と同様に複雑な感情が幾重にも折り重なっているといえるだろう。奈良の作品は、ネオポップという現在の日本の美術を代表する傾向のひとつとして新たな時代を切り拓いたものであり、数多くの国内外の大規模な展覧会にも出品され、高い評価を確立している。

    奈良 美智 (1959- )  【なら よしとも】 Yoshitomo NARA
    青森県弘前市生まれ。愛知県立芸術大学美術学部卒業後、1987年に同大大学院を修了。1988年からドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍する。その後、ケルン近郊のアトリエを拠点に活動していたが、2000年から日本で制作を始めた。独特の風貌のつり目の女の子を描くことで一躍国際的な注目を集めた作家であり、日本でも若者層を中心に人気が高い作家のひとりである。

  • カオス
    瑛九
    1957年
    油彩/合板
    137.7×335.0cm(4枚パネル)

    1911 宮城県に生まれる
    1925-27 日本美術学校で学ぶ
    1936 個展「瑛九フォトデッサン個展」(東京、紀伊国屋画廊)
    1960 東京にて死去
    1990 回顧展(伊丹市美術館)


    印象派や点描主義、キュビスム、シュルレアリスムなど様々な絵画様式を試みた瑛九は、技法面においても版画や油彩、写真といったジャンルを超えた数々の実験的手法を生み出した。1957年に制作された《カオス》は、瑛九のそのような変遷が凝縮された興味深い作品であるといえる。4枚のパネルによって構成されている本作品は、瑛九をはじめとするデモクラート美術協会のメンバーを支持した美術評論家久保貞次郎邸の蔵の外壁を飾るために制作されたもので、クラゲのような有機的な形態や円形の型紙を用い、エアブラシで油絵具を吹き付けている。印画紙の上に型紙を置き、金網を通した光をあてて制作するフォト・デッサンの技法がここで応用されており、それが点描主義やキュビスムの要素を内包した摩訶不思議な効果を醸し出している。瑛九はこの後、点描をあたかも細分化し、画面全体を覆うような不安感を感じさせる画風に突き進んだ。

  • 壁画 A・B・C・D
    オノサト・トシノブ
    1962年
    油彩/合板
    136.4×334.9cm(4枚パネル)

    1912 長野県飯田に生まれる
    1931 津田青楓洋画塾で学ぶ
    1953 最初の個展(東京、タケミヤ画廊)
    1963 「第7回日本国際美術展」最優秀賞受賞
    1964 「グッゲンハイム国際美術展」に《Painting A》(現在同美術館収蔵)を出品
       「第32回ヴェネツィア・ビエンナーレ」に出品
    1986 群馬県桐生にて死去
    1989 個展(練馬区立美術館)

    古来より円は、幾何学的に最も簡潔な構造を持つが故に、理想的な形態と見做されてきた。その円を主要モチーフとすることについてオノサトは、「あらゆるものの原形として円があるということで、原初的な状態で実在を発見することを要求している私の態度が、幾何学的な基本形態を必要としたのだ」と打ち明ける。そしてその構造については「画面には上も下もなくなって、左右も同じ。どちらからみても、まったく同じ繰り返し模様である」。画面全体は様々なオレンジ色の小さな長方形で細かく分割され、もはや円と地の境もなく、ただ鮮やかな色点が錯視的な効果を上げるばかりなのだ。
     シベリア抑留の後、オノサトは桐生で養鶏と美術教師の仕事の傍ら、抽象絵画の制作を再開する。64年の第32回ヴェネツィア・ビエンナーレの出品の後、本作は永らく瑛久(当館収蔵)、磯辺行久らの作品4点と共に、友人の評論家久保貞次郎邸の蔵の外壁を飾っていた。

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