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  • 東京裁判
    井上長三郎(1906-1995)
    東京裁判
    1948年
    油彩/カンヴァス
    129x159cm

    脱力しきった虚ろな姿で被告席に座る男たち。日本を狂気の戦争へと導いた戦時中の指導者たちを描いた井上のこの作品は、当時の記録映像を元に描かれ、東京裁判開廷中の1948年に開催された第2回美術団体連合展に出品された。絞首刑7名を含む戦犯への判決はその年の11月に下されている。
    井上は戦前から静物画、風景画においてセザンヌの理念を受けた純粋絵画の追求を行う一方で、南太平洋の日本兵を題材にした《死の漂流》(1943)など、反戦を暗示する作品を発表している。時代の裏側に潜む人間の心の歪みや暗部へ向けられる画家のまなざしは後年、一連の政治風刺画において、奔放な線描による独特な軽みを帯びた醜悪かつユーモラスな人物表現へと深化してゆくが、終戦直後に描かれたこの作品では、その沈鬱な色彩、描かれた人物たちの無表情が、敗戦と戦犯の断罪という厳然たる時代の現実を物語っている。

  • 《神話A》
    阿部展也
    1951年
    油彩/カンヴァス
    91x116.5cm

    1913 新潟県に生まれる
    1932 独立研究所で学ぶ
    1939 「美術文化協会」の結成に参加,同人となる
    1941-46 フィリピンで日本軍報道部の仕事に従事
    1951 第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品
     最初の個展(東京,タケミヤ画廊)
    1952 カーネギー国際美術展に出品
    1959 イタリア,ローマに移る
    1971 ローマにて死去


    肋骨が浮き立ち、骨と皮だけにやせ細ったひとが二人、暗闇の中に座り込んでいる。頸のない男に頭を取りつかれた人物は、両腕に力を込め逃れようとしている。戦争中6年間フィリピンで日本軍報道部の仕事に従事した阿部が、帰国後数年を経て着手したのがこの「飢え」のシリーズである。戦前より美術文化協会に所属し、シュルレアリスムの表現を試みていた阿部はまた、前衛写真協会にも所属する写真家でもあった。まさに、石坂洋次郎が言うとおり、「(徴用の間)彼は一枚も戦争画を描かなかった。そして、いま頃、こんな形で彼の戦争画を発表したのである。これは、いささかも感傷を交えない、厳しい戦争否定の宣言……」なのである。本作のタケミヤ画廊回廊の個展への出品、そしてサンパウロ・ビエンナーレ等海外展での活躍を経て、画家は50年代末よりヨーロッパに移り住むことになる。イタリアで客死した阿部のもとには、油彩と並んで、ビザンチンの遺跡の記録写真が大量に残されていた。ここに、人知れず朽ちていくものへの変わらぬ眼差しを我々は知るのである。


  • 香月泰男(1911-1974)

    1951年
    油彩/カンヴァス
    73.3x116.5cm

    デッキチェアに深くもたれて裸の少年が眠っている。午睡だろうか。静かな室内には夏のうだるような暑気が感じられる。叙情性の高い香月の初期作品には、たびたび少年が登場する。画中の少年は、どこか人気のない場所で海や空を眺めていたり、我を忘れるかのように眠り、考えに耽っている。懐かしさや寂しさの漂うこうした心象は「見棄てられた存在」であったという香月自身の子供時代の経験から生まれたものである。後に《シベリア・シリーズ》と呼ばれる作品群を生んだ抑留体験と同様、作家にとって少年期の記憶は制作の大きな源泉となった。切り取られたような画面構成は、対象から余計なものを削ぎ落とし、単純化させてゆく方法をとる香月特有のものである。少年の顔が描かれないことによって画面には独特の余韻がもたらされている。抒情的な表現から、より平面性や構成を意識した造形へと変化してゆく過渡期の作品である。

  • シーラカンス
    毛利武士郎
    1953年
    石膏
    107x133x55cm

    毛利武士郎(1923-2004)は、1950年代から一躍その名が知られるようになった作家である。そのきっかけを作ったのが、1954年の「第6回読売アンでパンダン展」に出品したこの《シーラカンス》である。「読売アンデパンダン展」は、新聞社主催の無審査自由出品制の展覧会で、ここから多くの新人が発掘された。彼もそうした作家の一人であった。《シーラカンス》というタイトルは、当時マダガスカル島近海で発見された古代そのままの魚に想を得ている。ただし、一見して明らかなように、その魚の姿をそのままに象ったものではない。作家が「シーラカンス」という言葉を通して伝えたかったのは、現代に生きる古代的な存在とでも言うべきものである。石膏を用いて作り出された形は、何かの生き物であることを思わせつつ、ごつごつとした質感や重々しい重量感、どことなくユーモラスな感じ見る者に伝える。それは特定の生き物の姿ではなく、おおらかな原初的生命そのものの姿なのである。毛利の彫刻は、この作品に見られるような有機的な形態をとるものと、現代社会を厳しく見据えて作り出された幾何学的な抽象彫刻の二つの方向性を持っている。相反するともいえる二つの傾向がせめぎあい、そのどちらにも安易に流れないことがこの作家の特質であり、また評価されている点である。

    毛利武士郎
    1923年 東京生まれ
    1943年 東京美術学校彫刻科彫塑部卒業
    1952年 二人展(タケミヤ画廊、東京)
    1954年 「第6回読売アンデパンダン展」に出品
    1959年 「第5回サンパウロビエンナーレ」出品
    1999年 「毛利武士郎展」(富山県立近代美術館)
    2004年 富山県黒部市にて死去

  • 抵抗
    桂ゆき
    1952年
    油彩/カンヴァス
    130x162cm

    1913 東京に生まれる
    1931 東京府立第五高等女学校卒業
    1935 最初の個展(東京,近代画廊)
    1956-61 欧米に滞在
    1966 「第7回現代日本美術展」最優秀賞受賞
    1991 個展(下関市立美術館)
    1991 東京にて死去

    幼少の頃より身近のオブジェに強い愛着を抱いていた桂は、コラージュ等の技法により「物と即結して即物的に」制作を行っていた。しかし戦争を契機に、社会状況と無関係に生み出される作品に疑問を感じ、これまで沈めていた物語性や思想性、人間性を押し出すことへと意識を転換させる。その結果、実際に物をコラージュしたもの、あるいはそれらを描いたものと戯画化・抽象化された人物像との組み合わせによる表現を試みるようになる。《抵抗》と題された本作品で、人物は生々しく赤い爪に長い髪を引っ張られており、その力から逃れようと鳥の脚にしがみついている。鳥はその手に抗うかのように首をもたげ、羽ばたこうとする。爪と人物、鳥と人物の間に力が拮抗し、強い運動感が画面に生じている。桂は、自分の感受性を素直に表現し、自分だけの世界を創造しようと作品を作りつづけてきた。が、その活動の根底に潜んでいたのは周囲の状況や固定観念に対する抵抗感であろう。ただ、桂自身そうした態度をとりながらも、自分を含めて人間に対し客観的に醒めた眼差しを向けている様が本作品におけるどこかユーモラスな人物の表情に窺えるようにも思えるのである。

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