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  • 初年兵哀歌 歩哨
    浜田知明
    1954年
    エッチング、アクアチント/紙
    23.8x16.3cm

    1917 熊本県に生まれる
    1939 東京美術学校油画科を卒業
    1940 召集、中国大陸へ派遣される
    1953 最初の個展(東京、フォルム画廊)
    1956 「第4回ルガノ国際版画展」入賞
    1979 個展(熊本県立美術館、アルベルティーナ国立美術館)
    1980 個展(神奈川県立近代美術館)
    1993 個展(大英博物館日本ギャラリー)
    熊本県在住

    銃口を口にあて、銃の引き金に左足のゆびをあて、まさに死のうとしている、ひとつ星が襟に光る初年兵。美術大学を卒業してすぐに軍隊に召集され中国に送られ、その戦争の遂行目的自体に疑問をいだき、非人間的な軍隊の生活の中で神経をすりへらした作家が死にその救いをもとめたのは当然であった。若い日にモンドリアンとアルプにひかれていたという作者は、白から黒までの階調の中に、単純化すべきところは大胆に省略化し、反面、初年兵のよれよれの服は現実感をもって描き込んでいる。すでに骸骨のように見える初年兵の頬を流れ落ちる一滴の涙は我々に彼の悲しみをひしひしと伝えてくる。この作品が描かれたのが1954年であり作者の実際の戦争体験から10年以上たっているという事実を考える時、作品とするにはそれだけの年月が必要であったのであろうという感慨を我々もいだくのである。

  • 《たまゆら「戦争画RETURNS」》
    会田 誠
    1999年 
    襖、蝶番、麻布、アクリル絵具、油絵具 
    各169×169cm 

    この「たまゆら」は、『戦争画リターンズ』という1995年から1999年にかけて10点制作された太平洋戦争を題材にした絵画のシリーズのうちの最終作である。陸軍と海軍を想起させる爆発のシーンが一対の屏風に仕立てられている。このシリーズの共通の特色は、不要になったふすまを屏風のように連結して用いることにある。作家の言葉によれば、工芸的完成度を避けてチープな素材で荒削りに作ったのは、個々の作品の「擬似的主張」を前面に見せたかったためとされる。そして、戦争を直接知らない(しかし両親は知っている)世代として、近い過去に自国で起きた歴史的事件をどのように作品化できるのかという人工的な実験のつもりであり、「太平洋戦争」「戦争画」「戦争一般」に対して、作家の脳裏に昔から定着している意味性のまったく無い純粋なイメージを、正直に形にしてみたものであると語っている。

    会田 誠 (1965‐ ) 【あいだ まこと】  
    新潟県新潟市生まれ。1989年東京藝術大学油絵専攻を卒業、1991年東京芸術大学大学院を修了する。
    1992年 個展「絵は四角くなくなくてもよい」谷中ふるふる、東京
    1996年 個展「NO FUTURE」ミヅマアートギャラリー、東京
        個展「戦争画RETURNS」ギャラリーなつか、東京 
        「TOKYO POP」 平塚市美術館、神奈川
    1999年 「日本ゼロ年」 水戸芸術館現代美術センター、茨城
    2007年 「アートで候。会田誠・山口晃展」 上野の森美術館、東京
    2010年 「絵画の庭-ゼロ年代日本の地平から」 国立国際美術館、大阪
    2012年 個展「天才でごめんなさい」 森美術館、東京

  • 《「戒厳状態」シリーズ》
    石井茂雄
    1952年頃
    インク、鉛筆/紙
    39.8x33cm

    1933 東京に生まれる
    1950 文化学院美術科卒業
     「第24回国画会展」に出品,初入選
    1954 「第6回読売アンデパンダン展」出品
    1955 最初の個展(東京,養清堂画廊)
     「製作者懇談会」結成に参加
     「43人展」結成に参加
    1957 「46人展」出品
    1959 「集団30展」出品
    1960 「第28回日本版画協会展」日本版画協会賞受賞
    1962 東京にて死去

    石井茂雄は、1933年東京に生まれた。1950年文化学院美術科を卒業。同年、第24回国画会展に初入選する。当初はシュルレアリスムの影響を受けた人物画を制作していたが、1955年頃からは風刺的な内容をもつ作品へと移行する。それは、見せかけの平和主義に対する挑戦ともいえる強烈な皮肉に満ちたもので、歪んだ人体や廃墟のような都市を主なモティーフとしていた。油彩画の他に、鋭い硬質の線で描かれた素描や銅版画を多く制作しているが、1960年頃には写真を用いたコラージュも手がけている。それらによって彼が表現しようとしたのは、「暴力」や「不安」といったネガティブな感情や感覚だった。戦後の日本が経済的な復興を遂げつつも、社会の奥底に芽生えていた漠然とした不安感や危機感を炙り出すかのように、皮肉なユーモアに富んだ作品を作り続けていた。
     彼が作品を発表したのは、およそ10年という短い期間だった。仲間と馴れ合うこともなく、挑発的ともいえる発言をも辞さない作家だったと仲間の回想に語られている。また、幼い頃からの持病であった喘息のため、決して丈夫とは言えない体だったという。しかしそれ故に、変動する社会をむしろ傍観者のように冷徹に見据え、50年代日本の様相を鋭敏に感じ取っていたといえるだろう。単なる写生とは異なる意味での新しいリアリズム表現を追求し、そして表現しえた作家のひとりだった。1962年、28歳の若さで急死した。

  • 《神話A》
    阿部展也
    1951年
    油彩/カンヴァス
    91x116.5cm

    1913 新潟県に生まれる
    1932 独立研究所で学ぶ
    1939 「美術文化協会」の結成に参加,同人となる
    1941-46 フィリピンで日本軍報道部の仕事に従事
    1951 第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品
     最初の個展(東京,タケミヤ画廊)
    1952 カーネギー国際美術展に出品
    1959 イタリア,ローマに移る
    1971 ローマにて死去


    肋骨が浮き立ち、骨と皮だけにやせ細ったひとが二人、暗闇の中に座り込んでいる。頸のない男に頭を取りつかれた人物は、両腕に力を込め逃れようとしている。戦争中6年間フィリピンで日本軍報道部の仕事に従事した阿部が、帰国後数年を経て着手したのがこの「飢え」のシリーズである。戦前より美術文化協会に所属し、シュルレアリスムの表現を試みていた阿部はまた、前衛写真協会にも所属する写真家でもあった。まさに、石坂洋次郎が言うとおり、「(徴用の間)彼は一枚も戦争画を描かなかった。そして、いま頃、こんな形で彼の戦争画を発表したのである。これは、いささかも感傷を交えない、厳しい戦争否定の宣言……」なのである。本作のタケミヤ画廊回廊の個展への出品、そしてサンパウロ・ビエンナーレ等海外展での活躍を経て、画家は50年代末よりヨーロッパに移り住むことになる。イタリアで客死した阿部のもとには、油彩と並んで、ビザンチンの遺跡の記録写真が大量に残されていた。ここに、人知れず朽ちていくものへの変わらぬ眼差しを我々は知るのである。

  • 《戦争と平和》
    大岩オスカール
    2001年
    油彩/カンヴァス
    227×444cm(各)、2点組


    大岩オスカールは、1965年、日系二世としてブラジルのサンパウロに生まれ、日本での生活(1991-2002年)を経た後、現在ニューヨークを拠点に活動している画家。身の回りの社会事象や歴史に関心を寄せ、イメージ群を自在に参照、構成し、巧みな筆捌きでもって大画面の油彩画に取り組んでいる。大岩の住居が当館近隣の足立区であったこともあり、当館ではこの時期の作品を多数所蔵している。
    《戦争と平和》は、第二次大戦で空襲を受けた下町の歴史をもとに描かれた作品。
    暗い闇と不気味な煙の漂う画面が「戦争」、緑の生い茂る明るい画面が「平和」と名づけられている。確かに前者は、土地が荒れ、竜巻か決壊が起こっているような暗鬱な風景だが、小さな家には明かりがともる暮らしが感じられる。一方、青空の広がる画面には川の両岸に建物が立ち並び、畑も木々も潤いながら小さな小屋は廃屋のようにも見える。これらの風景は、戦争と平和が全く別個のものでも、また、断ち切られるのでもなく、常に二重写しのように私たちの生活を覆っていることを伝える。(クローズアップ英訳)

  • 川に着く前に橋を渡るな
    フランシス・アリス
    2008年
    映像インスタレーション、ドローイング15点、油彩1点、立体像1点
    サイズ可変


    1959年、ベルギーで生まれたフランシス・アリスは、建築と都市計画を修めたのち、86年にNGOに参加、派遣先のメキシコで都市の考察として観察や撮影、パフォーマンス等を重ね、89年にそれらを作品として発表。以降、自身の身体を媒介に都市と関わるアーティストとして活動している。「アクションによる介入」と呼ばれる彼の行為は、独自の仕方で都市の歴史や政治、文化的背景を考えるものとして、近年高い注目を集める。
    当作の舞台は、ヨーロッパとアフリカを隔てるジブラルタル海峡。天気の良い日には対岸が望めるこの海峡は、アフリカからヨーロッパへ密かに渡航を企てる人々を惹きつけてきた。アリスはこの地に「グローバル経済の促進を図りながら、同時に大陸をまたぐグローバルな人の流れを制限する」という「現代に潜む矛盾」を見て介入を企図する。それは、両岸から子供たちが列を作り、両大陸の間に想像の橋を架けるというもの。当作品はそのプロジェクトの記録である。
    彼のプロジェクトは、作家自ら「物語」と呼ぶように、細部と全体を欠き、時に結末や合理をもたず、十分な余白が多様な解釈を生んでゆく性質を持っている。当作でも、水平線の先での出会いの結末は明かされない。この一連の記録は、「矛盾」を端緒とした動機に相応しく、開かれた物語として常に想像によって補完されながら幾度も再生されるものといえよう。実社会や政治といった事実の領域に感性の領域を重ねながら関わるアリスの仕事は、物語というものの可能性をたずねつつ、思いがけない仕方で私たちの現実を浮き彫りにする。

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