注目のコレクション

  東京都現代美術館

go江戸東京博物館   go東京都写真美術館   バックナンバー

  • 無題
    中園孔二
    2015年
    油彩/カンヴァス
    30×30cm

    神奈川県に生まれ、東京藝術大学で油画を学んだ中園孔二(1989-2015)は、在学中からその奔放かつ多彩な作風で知られ、新進気鋭の若手作家として注目を集めていました。
    不慮の事故によって25歳で夭折するまでの間に、中園は豊かな発想力と恵まれた表現力を活かし、500点あまりの作品を残しています。そのひとつひとつが強力な個性と圧倒的な存在感を放つ作品の数々は、ともすると同一作家によるものとは思えないほど豊かなバリエーションを有しています。これらは勢いに任せて一気に描き上げているようでありながら、作品によってクレヨンや油絵具などを使い分け、時にはスクラッチを加えたり、チューブから直接搾り出した絵の具や指先でマチエールに変化を付けることで、画面に重層的なレイヤーを持たせています。
    「この絵が何なのかということを、説明することは基本的にできない」という作家自身の言葉を裏付けるかのように、中園の作品にはほとんどタイトルが付されていません。そのこともあって、ファンタジックな世界観の中にもある種の禍々しさが同居する不思議な作品の数々は、見る側の想像力を様々に刺激し、惹き付ける魅力にあふれています。
    2015年制作の《無題》は、作家逝去時にアトリエに残されていた作品です。この年、中園は香川県高松市に移住し、活動の拠点としたばかりでした。一直線に伸びた道の上を、啓示的な人型の雲に誘われるように歩む青年の姿は、瀬戸内海の陽光の中で制作に励む、作家自身を象徴するかのようです。

  • He, She, You and Me
    五月女哲平
    2012年
    アクリル/カンヴァス
    227.3×363.6cm

    五月女哲平(1980-)は、最初期には立体作品を手がけていましたが、2009年頃からは、絵画を主なメディアとして制作しています。鮮やかな色彩を特徴としていた五月女が色を排除し、色面をモノクロームに変換した作品が、2011年の震災後に描いた《He, She, You and Me》です。男性か女性か、正面向きか背中を向けているのか、そのどちらにも見える人物像が重なり合う「He and She」シリーズを展開したもので、モノクロームの画面の奥には、鮮やかな色彩が隠れているのが見て取れます。
     五月女の絵画は、ミニマリズムやカラーフィールドの系譜と見ることもできますが、それらが排除したイリュージョンも取り込んでいます。見る人によって異なる視覚経験の複数性をポジティブにとらえ、絵画の中に、その複数性そのものをあらわすことで、絵画が内包する物語を鑑賞者自らが紡ぎ出せるシステムを生み出しています。テーブルの上のコップから空の月まで、私たちの目には、日々、遠近を超えて様々なものが映り、私たちはそこから何かを感じたり、記憶と結びつけたりします。そんな連想のように、五月女の絵画は、具体的なものと抽象的なもの、自然物と人工物、個人の経験と歴史といった境界をなだらかにして見せてくれているようです。

  • untitled
    今井俊介
    2014年
    アクリル/カンヴァス
    210×264cm

    今井俊介(1978-)は、初期には、ポルノグラフィや花など、インターネット上にあふれる既存のイメージを抽出し、重ね合わせ、判読不可能な別のイメージとして再生させる絵画などを描いていました。近年は、あざやかなストライプやドットが平滑な画面に旗のように波打っているように見えるシリーズを展開しています。今井はまず、コンピュータ上で直線のストライプをランダムに配置します。それを紙にプリントし、その紙を手で立体的に歪ませ、曲線や奥行きをつくり、その一部を単純な色面に還元しながら、カンヴァスに写し取っていきます。抽象画の側面を持ちながら、画家の目の前にモチーフがあり、それを見ながら描いているという意味では、具象画であるとも言えます。
     今井は、見るという経験を含む、絵画の外側にある身体性や距離の問題に意識的に取り組んでいる画家です。人の眼は、絵画が平面であることを認識しながらも、奥行きを感じ、空間を見出すものです。しかし、奥行きや空間をどのように把握するかは、それが身体的なものであるだけに、個別に異なります。鑑賞経験が起きる絵画の外側の物理的空間も、視覚経験に影響を与えます。今井は、独自の制作プロセスを経て、奥行きを一旦平面に還元しつつ、ストライプのうねりやその重なり、色彩のコントラストなどにより、再び奥行きを呼び戻します。そのようにして、イリュージョンを生み出す絵画のシステムを批評的に解体しつつ、鑑賞者を「見る」ことの能動的な経験へと導くのです。

  • なにもない風景を眺める 2014.4-d AICHI
    文谷有佳里
    2014年
    インク/紙
    54.5×54.5cm

    文谷有佳里(1985-)は、幼い頃よりピアノに親しみ、大学では作曲を学ぶかたわら現代音楽の実験的なパフォーマンスに加わるなど、音楽と身体表現に関わってきた作家です。
    線描は、学生時代から作曲とともに続けていた、小さい、私的なドローイングに端を発するものと言います。その後、美術系の大学院に進み、ドローイングを活動の中心に据えていった作家ですが、作曲に勤しむ中でなされた、見えない音を捉え視覚化する膨大な記譜の経験が、これらの、素早い、スピード感のある線を可能にしたと言えそうです。多くの作品には、描出の速度を損ねないよう、短い時間で乾く、細い文具ペンが用いられています。
    文谷の線描は、当初は、植物を思わせるような有機的、オートマティックな曲線が支配的でしたが、2009年に建築の書物や図面に関心を寄せたことから、即興的な線が踊る画面上を大胆に横切ってパースや区分けを作り出す、異なる太さをもつ直線が加わり、独特の空間を持った作風へと展開していきました。
    音を捉え、視覚化する記譜の線、自動的に引かれる有機的な線、図面で使用されるような画面を分けるしっかりした直線、そして点のように微かな線。これら種々の線を目で追いかけるうちに、セッションにも似たいくつもの呼びかけや応答、重なり、広がりが、見る者をとらえていきます。自立した多様な線が、規則的にまた即興的に交錯する文谷の作品は、パフォーマティヴなプロセスそのものとして、ドローイングという行為の持つ幅広さと奥行き、複数のジャンルにわたる「線」の魅力を私たちに伝えます。

  • Mirror Drawing
    関根直子
    2017年
    鉛筆、色鉛筆、ガッシュ/パネル
    180×298cm
    写真:柳場大

    鉛筆を中心とした身体的、触覚的なドローイングによるモノクロームの画面で知られる関根直子(1977-)は、近年、具象的なイメージや鮮やかな色彩、大胆な筆捌きを積極的に試みるなど、ドローイングの新たな展開を見せてきました。一方で、空間における作品の配置や構成への働きかけなどを通して、絵を体験することについて、当初より一貫した関心を寄せ続けています。
    《Mirror Drawing》は、そのような作家の探求が結実した作品です。絵に向き合えば、見る人の影や色彩、そして佇んでいる空間全体が映し出され、画面と一体化しているのがわかるでしょう。パネルにジェッソを幾度も重ね、磨き、グワッシュ、鉛筆を重ねて描くという過程を経て完成した画面は、鏡面のような平滑さと微細な陰影を伴った線描が共存し、ドローイングによる作品とは信じられないほどです。画面を構成する3枚のパネルのうち、中央と左右の2枚では肌理が異なり、絵の前を横切るたびにその表面で複数の境界が行き来する場となります。よく言われる「絵に向かう、絵の内容を読みとる」という私たちの行為はここで、まったく異なる体験へと開かれるのです。
    この作品は、作家がアメリカ、ヒューストンのロスコチャペルを訪れたことが契機となって制作されました。見る者を囲む、絵が呼吸するような空間へのいわば応答として描かれたものですが、鉛筆によるドローイングでのみ得られる画面、表面の質は、技法と空間の問題に取り組み続ける作家ならではのものといえるでしょう。

ページTOPへ▲