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  • アルミナのエロス(白い固形は…)
    伊藤公象
    1932 石川県金沢に生まれる
    1951 中村翠恒に陶芸を学ぶ
    1959 「第五回二紀展」初出品
    1963 最初の個展(東京、竹川画廊)
    1990 「現代の土展」(東京都美術館)
    2009 個展「伊藤公象 works 1974-2009」(茨城県陶芸美術館、東京都現代美術館)
    栃木県笠間市在住


    アルミナのエロス(白い固形は…)
    1984/2015
    アルミナ、長石
    約500片
    サイズ可変
    撮影:椎木静寧




    伊藤公象は、土を素材とした陶の手法によって生命力あふれる作品を多く生み出してきた作家である。自然と人為の境界を縫うようなその仕事は、人と空間・時間をめぐる洞察として高く評価されており、本作《アルミナのエロス(白い固形は…)》にもその特質がうかがえる。作品を構成するピースはアルミナと長石の粉末を混交し高温で焼成して得られるもので、個々は多様に砕けているため、それらの集合は同一でありつつ全て異なるという自然の在り様と重なり、自然の風化をも内包しているように見える。作家は、これらのピースを、展示の度に異なる形として構成してきた。1984年の発表時より今日まで《アルミナ…》は、幾度も姿を変えてきたのである。加えて、当初300余だったピースは2009年の個展を機に500余となり、その姿のみならずスケールをも大きく変えて今に至っている。
    風化を許容しつつ姿を変える作品として、当作は二重の意味で変化それ自体をその本質としていると言えよう。それは作品の同一性とは何か、という問いを私たちに投げかけるものだ。変化そのものがこの作品の質であるならば、私たちがここで「作品」として長く保存し、後世に伝えていくものは何であるべきなのか――個々の欠片はそれだけでは作品として機能しない以上、作家の関与、その行為や思想、何よりもその作品体験を伝えていく方法を探り続けることが、美術館に求められていると言えるだろう。

  • 作品(穴)
    嶋本昭三
    1928 大阪に生まれる
    1947 吉原治良に師事
    1950 関西学院大学卒業
    1954 具体美術協会に結成に参加
    1962 個展(大阪、グタイピナコテカ)
    2013 兵庫県西宮市で死去

    作品(穴)
    1950年頃
    白ペンキ、鉛筆/新聞紙
    194x130.6cm

    無残に破れ傷ついた画面が眼前にある。何か手荒な力が加えられた表面は、亀裂や穴となり、画面の向こう側をのぞかせる。めくれた表面の下からは古新聞が顔を出し、穴からは重なった新聞の断層が見え隠れする。人の手によって作りだされた傷痕と、そこから生まれる表層と内層の複雑なマテイエールは、むしろ豊かな表現効果を生みだしている。
     作家としてのスタートを切ったばかりの嶋本昭三は、当時経済的な理由から新聞紙を何枚も重ね、糊でかためた私製カンヴァスを使って絵を描いていた。ある時、その上を何度となく力を込めて鉛筆で線描を引くうちに、古新聞に鉛筆は突き刺さり、穴が偶然に生まれていたという。作家の激しい行為がそのまま凍結されたようなこの「穴」の連作に、厳しい師であった吉原治良も惜しみない賞賛をおくったらしい。後に彼らが創設する「具
    体美術協会」の理念にも通じる、人間と物質との激しい格闘の跡を見るような本作品は、数年後機関紙『具体』の創刊号を飾っている。

  • OTOMI
    中ハシ克シゲ
    1990年

    1955 香川県に生まれる
    1985 最初の個展(神戸、トアロード画廊)
    1990−91 個展「松のある風景」(東京、村松画廊/大阪、信濃橋画廊)
    1992−93 個展「NIPPON cha cha cha」(大阪、AD&Aギャラリー/東京、ギャラリー日
    鉱)
         大阪府在住

    西洋近代の彫刻概念への懐疑から出発した中ハシは、植木、鯉、和傘、力士(小錦)といった「日本的なもの」の典型をモチーフとして取り上げた立体作品を制作してきた。「板塀越しに見る松」を表すこの作品は、日本文化の型としての風景であり、タイトルからも明らかなように「お富の松」として知られる、歌舞伎『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)の名場面を想起させる。しかし作家の関心は、こうした日本的な典型、文化的なアイデンティティを記号的に取り扱うことによって、社会が共有する意識や記憶に働きかけ、「自然」と見なされるものに隠れた人為性、文化的な歪みやズレを提起することにある。銅線の松葉、鉄による枝や板塀のもつ乾いた印象は、日本文化に言及しつつも、そこにまつわる情緒性を巧みに排除し、ありふれたものを異物として提示する作用をもっている。

  • 弐(天功星浪子)
    1962年
    白髪一雄
    油彩/カンヴァス
    181×276cm

    略歴
    1924 兵庫県尼崎に生まれる
    1948 京都市立絵画専門学校日本画科卒業
    1955 具体美術協会の会員になる
    1959 「第11回プレミオ・リソーネ国際美術展」買上賞受賞
    1962 個展(ギャルリ・スタトラー、パリ)
    1965 「第8回日本国際美術展」優秀賞受賞
    1985 個展(兵庫県立近代美術館)
    1993 個展 (ミディ=ピレネ現代美術センター、フランス)
    1997 個展(福岡市美術館)
    2001 個展(兵庫県立近代美術館)
    2008 尼崎にて死去
    2009 回顧展(安曇野市豊科近代美術館、長野)

    〈具体美術協会〉の主要メンバーであり、早くから国際的にも高い評価を得ていた白髪一雄は、学生時代には日本画を専攻していたが、卒業後は洋画に転向した。岩絵具に制約を感じ、油絵具の持つ色彩の輝き、とりわけ「流動性」に魅かれたからである。油絵具のダイナミックな流動感を出すために、最初はパレットナイフで絵具を塗りつけていたが、それが素手にとって代わり、最終的には素足を使って絵を描いた。1954年、いわゆる「フット・ペインティング」の誕生である。床に特大のカンヴァスを広げ、天井から下がったロープに掴まり足で絵具の上を滑ってゆく。描くという行為そのものの軌跡が、明確に画面の上に残されるという点において、日本におけるアクション・ペインティングの典型とされてきた。具体が解散した後、多くの作家がそれまでと違った新たな表現を模索した中で、白髪は「アクション・ペインティングこそ自分の芸術表現と信じて疑わず」、一筋にこの手法で制作を続けている。本作品のタイトルは、白髪が好んだ『水耕伝』の英雄の名前。

  • 作品
    元永定正
    1922 三重県上野に生まれる
    1938 三重県立上野商業学校卒業
    1955 具体美術協会の会員になる
    1957 個展(大阪、阪急百貨店洋画廊)
    1959 「第11回プレミオ・リソーネ国際美術展」買上賞受賞
    1980 「高松次郎・元永定正展」(国立国際美術展)
    2011 兵庫県宝塚市にて死去


    作品
    1962年
    エナメル/カンヴァス
    173x274cm

    何かが眼前で破裂し、その中から大量の絵具がカンヴァスに流出していくかのようだ。緩慢な動きが画面全体に拡がり、ゆるやかな曲線が生み出された。赤、黄、緑といった原色のエナメル絵具を使用することで、油絵具にはない軽快な調子が現れている。どこかユーモラスな右側の瓢箪形と左の細い流線は、1960年代に元永が特に好んで使った型であり、この二つを組み合わせて数々の作品が生み出された。1955年から1971年の長きにわたって具体美術協会の主要メンバーとして活躍した元永は、1959年頃に独自の「流し」という技法で新境地を開いた。これは日本画の「たらしこみ」の技法を応用したもので、床置きしたカンヴァス上に絵具を落とし、カンヴァスを傾けて流していく手法である。絵具の量、カンヴァスの傾斜の度合いによって、絵具の軌跡が福雑な曲線を描き出す。一見、偶発的な意匠のようだが、「明確なフォルムが底にある。つまり下絵がある」。フォルムに対する元永の鋭敏な感覚が見事に表現された一枚。

  • 田園
    靉嘔
    1956年
    油彩/合板
    183.0×370.4cm(4枚パネル)

    1931 茨城県に生まれる
    1954 東京教育大学教育学部芸術学科卒業
    1955 最初の個展(東京,タケミヤ画廊)
    1969 「第4回ジャパン・アート・フェスティバル」 最優秀賞受賞
    1970 「第7回東京国際版画ビエンナーレ展」 東京国立近代美術館賞受賞
    埼玉県及びアメリカ,ニューヨーク在住


    靉嘔は、昭和30年に池田満寿夫を初めとする若手作家とともに〈グループ実在者〉を結成した。本作品は昭和31年にフォルム画廊で行われた同グループの連鎖展で発表されたものであり、同年の第8回読売アンデパンダン展にも出品されている。作品タイトルの≪田園≫は、連鎖展の課題テーマであった「田園」に由来するが、画面下には「食う為に生きる為に耕す父母兄弟姉妹におくる」というメッセージが記されており、タイトルとともに戦後の復興に向けて立ち上がろうとする作家の願いが込められている。ベニヤ板4枚から成る大画面に、半ば球状に単純化された男女のフォルムが隊列を成して前面に行進してくる様子が大胆な遠近法によって描かれ、敗戦後に希望を抱き始めた当時の世相を見事に表している。靉嘔は、この作品を発表してから2年後にニューヨークに渡り、虹色のシリーズへと展開していった。 (K.H.)

  • 《ゴミ男》
    大竹 伸朗
    1987年  バルサ、印刷物、鉄、木、プラスティック、ゴム、フィルム、段ボール、植物、布、厚紙、紙、マスキングテープ、石膏、アクリル、油彩、水彩、缶、砂、梱包材、靴下、おもちゃのピストル、ギターネック、グラインダーの歯、イミテーションの真珠、カシュー塗料、木炭、消しゴム、家庭用炭酸ガスボンベ、包装紙、紙テープ、木屑、ロウ、竹、はけ、オープンリール用録音テープ/木製パネル;テープレコーダー、マスキングテープ、スピーカー  405×405×20cm  2006年度購入
    Shinro OTAKE, Rubbish Men, Balsa, printed matter, iron, wood, plastic, rubber, film, cardboard, plant, cloth, paper, masking tape, gypsum, acrylic, oil, watercolor, etc. on panel ;Tape-recorder, masking tape, and speaker, New Acquisition in 2006

    《ゴミ男》は、「東京」をテーマに、すべてこの都市から排出されたゴミ―段ボール、植物、布、厚紙、紙、マスキングテープ、靴下、おもちゃのピストル、ギターネック、グラインダーの歯、イミテーションの真珠などを素材に制作された。そして、コラージュのパネル8枚の中に浮かぶ人物像は、マルセル・デュシャンにかかわりの深い映像実験からの引用である。多種多様なイメージや音がリミックスされた作品は、「東京の現在」の表象であり、作家が出会った事物を集めた、日記のように私的な表現でもある。まさに、「時代の感性」として受容された80年代の作家の集大成といえる作品である。

    大竹 伸朗 (1955- ) 【おおたけ しんろう】 Shinro OTAKE
    東京都生まれ。1977‐78のロンドン放浪を経て、1980年武蔵野美術大学油絵科を卒業。1982年に初個展を開催、新世代の絵画の旗手として注目を集めた。1985年にはロンドンICAで日本人として初めて個展を開催している。その後も精力的な制作を続け、立体、写真、本、印刷物、音楽など多彩な領域での活動を展開している。

  • レモン・ニュース(フレッシュ)
    森千裕
    2009
    130×186cm  
    アクリル、フェルトペン、鉛筆/ケント紙、木製パネルにマウント

    森千裕(1978- )は、企業や商品、スポーツ・チームなどのマークや、映画の一場面など、都市に暮らす身体に溜まっていく種々の視覚的記憶のイメージを吐き出すように、無数のドローイングを描き、それらをコラージュのように再構成した絵画を描いてきました。高解像度で世界を見ていた幼い頃の落書きや、それらが持っている連想の遊びのような感覚も、彼女にとっては作品を作るための重要な道しるべとなっています。絵の具を吸収しやすい和紙を用いたり、ボンドを塗り重ねて半透明の画面を作ったりするなど、素材の実験を行いながらイメージと物理的に戯れる過程そのものが、彼女にとっては絵画を描く動機となっているようです。一方で、都市に氾濫するイメージが促す社会的な規範や、多数によって支持される「主流なもの」に対して、作家のまなざしのうちに、疎外感から来る異議申し立てが含まれていることも見逃してはならないでしょう。

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