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  • 東海道五拾三次


    日本橋 朝之景(にほんばし あさのけい)
    歌川広重/画 


     東海道の起点、日本橋を描く。南詰(みなみづめ)から北側を眺めたもので、画面に向かって左側に高札場(こうさつば)がある。また北側には魚河岸があり、江戸の中でもとくに賑わった場所のひとつである。橋の上の大名行列や高札場前の魚売りたちの姿が、その一端を伝えてくれる。
     雲と薄い彩色で表した繊細な朝焼け空と、画面の手前左右に木戸を開いたかたちで描く大胆な構図が、長い旅路の幕開けを告げるような劇的な雰囲気を演出している。
    (資料番号:08100001)

  • 東海道五拾三次


    品川 日之出(しながわ ひので)
    歌川広重/画 


     東海道最初の宿場となる品川。画面下方には、宿場の境界を示す傍示杭(ほうじぐい)があり、その先にびっしりと茶屋(ちゃや)や家が建ち並んでいる。このあたりは海が開けた景色の良いところで、江戸後期に流行った廿六夜待(にじゅうろくやまち)という、7月の二十六夜の月の出を待って拝む年中行事でも人気を集めた場所である。
     副題に「日之出」とあるように、海から朝日がのぼる頃を描いたもの。
    (資料番号:08100002)

  • 東海道五拾三次


    川崎 六郷渡舟(かわさき ろくごうわたしぶね)
    歌川広重/画 


     六郷川は現在の多摩川のことで、東海道で最初に渡る大きな川である。渡し舟が今、川崎側に到着しようとしている。煙管(きせる)を吸う旅人やちょっと遠出を楽しむような女性の姿が描かれている。着岸で舟をコントロールするため、全身をつっぱらせた船頭の姿がのどかな客達と対照的だ。
    岸辺では、人間だけでなく、荷物を積んだ馬や駕籠(かご)も渡し舟を待っており、渡し舟をめぐるさまざまな風俗が描かれていて興味深い。
    (資料番号:08100003)

  • 東海道五拾三次


    神奈川 台之景(かながわ だいのけい)
    歌川広重/画


     神奈川宿の台町の坂道を描いている。左に海が広がる構図は品川のものによく似ているが、ここでは街道の急斜面ぶりを伝える表現が特徴となっている。海側に並ぶ家々の屋根をだんだんに高く描く発想は、リズミカルで魅力的である。そして坂の頂上から大胆に海に張り出した樹木が、さらにこの家並みに連なりおもしろい印象を与えている。海上の縮緬(ちりめん)のような波の表現も特徴的。
     画面右端の街道で繰り広げられている客引きの姿が、宿場らしい風情を添える。
    (資料番号:08100004)

  • 東海道五拾三次


    保土ヶ谷 新町橋(ほどがや しんまちばし)
    歌川広重/画


     新町橋とは、保土ヶ谷宿の中に流れる帷子川(かたびらがわ)にかかる橋。帷子橋ともいう。二八蕎麦(にはちそば)の看板や、街道の両側に立つたくさんの屋根の並びを眺めれば、橋の向こう側の賑わい振りが察せられる。
     その一方、列になった家並みの裏には田圃(たんぼ)が遠くまで広がっており、ここが街道筋であることを感じさせてくれる風景となっている。
    (資料番号:08100005)

  • 東海道五拾三次


    戸塚 元町別道(とつか もとまちわかれみち)
    歌川広重/画


     柏尾川(かしおがわ)に架かる吉田橋から、旅籠(はたご)の「こめや」までの光景を描く。家々の屋根に上から暗くぼかしが入っており、夕闇が迫る頃と思われる。描かれた旅人たちは菅笠(すげがさ)を脱ごうとしたり、馬から飛び降りたりして、はや「こめや」が今宵の宿と心に決めているようだ。
     橋の袂(たもと)の「左りかまくら道」という分かれ道を示す道標や、「こめや」の軒下にかかる大山講(おおやまこう)などの講札が、多くの人びとが行き交っていたことを伝えてくれる。
    (資料番号:08100006)

  • 東海道五拾三次


    藤沢 遊行寺(ふじさわ ゆぎょうじ)
    歌川広重/画


     山の上にあるのが遊行寺とも呼ばれる、時宗(じしゅう)の総本山清浄光寺(しょうじょうこうじ)。鳥居は、江の島弁財天のもの。その背後に流れる川が境川(さかいがわ)で、橋は大鋸橋(だいぎりばし)。橋の向こうに宿場町が続く。
     江の島弁財天は、盲目の杉山検校(すぎやまけんぎょう)が若い頃ここで鍼術(しんじゅつ)のひとつを授かったという伝承から、座頭(ざとう)の信仰も厚かったという。鳥居をくぐる座頭たちや、さらには橋の上の大山講の集団など、江の島に近いこの土地に親しい人びとの姿を描くことによって、藤沢の特徴をよく表している。
    (資料番号:08100007)

  • 東海道五拾三次


    平塚 縄手道(ひらつか なわてみち)
    歌川広重/画


     「縄手道」とは、田圃の間をゆく道のこと。手前に大きく描かれるのは、宿の境界を示す傍示杭(ほうじぐい)と高札。画面中央の丸い山が高麗山(こまやま)、間に富士山をはさんで右側が大山と思われる。
     中央を行くのは飛脚と空の駕籠をかついだ駕籠かきの2人組。傍示杭などとともに街道の往来を生業とする代表的な人たちが描かれており、街道筋の風景の見本のようだ。
    (資料番号:08100008)

  • 東海道五拾三次


    大磯 虎ヶ雨(おおいそ とらがあめ)
    歌川広重/画


    「虎ヶ雨」は陰暦5月28日に降る雨のこと。『曾我物語』の曾我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)の恋人、大磯の遊女虎御前が、その日に死んだ十郎を偲んで泣いた涙雨を指す。虎御前は十郎の死後、画面右端に見える高麗山に庵を結んだといわれている。
     場面は大磯の宿に入るところで、傍示杭や高札のある入口とその先に連なる家並みがいかにも宿場町らしいが、はかなげな雨の線が物語を想起させる雰囲気作りに成功している。
    (資料番号:08100009)

  • 東海道五拾三次


    小田原 酒匂川(おだわら さかわがわ)
    歌川広重/画


     小田原宿を前に流れる酒匂川の、徒渡(かちわた)しのようすを描く。徒渡しとは、橋も渡し舟も無い川を、歩いて渡ることをいう。ここでは川越人足(かわごしにんそく)が、いろいろなサイズの輦台(れんだい)を使ったり、肩車でかついだりして旅人を渡らせているようすがわかる。
     遠くに険しくそびえているのが箱根の山で、ふもとには小田原宿の家並みと一段と高い小田原城がみえる。京都に上る旅人が、この宿からいよいよ難所に挑むことになる。
    (資料番号:08100010)

  • 東海道五拾三次


    箱根 湖水図(はこね こすいず)
    歌川広重/画


     険しい山が連なる東海道第一の難所、箱根。中央にそびえる峰のごつごつとした山肌を表す大胆な色使いは、見る者の目を奪う。右下の山間を大名行列が進んでいるが、周辺の墨のぼかしや、右端の山にみられる不気味な生き物が首を垂れたような表現は、旅人の恐怖心や畏怖心が生んだ心象風景のようにみえる。
     副題の湖水は、芦ノ湖(あしのこ)のこと。湖の深みのある青い水面と真っ白な富士山が、峠道の世界とは対照的な落ち着きと明るさをみせている。
    (資料番号:08100011)

  • 東海道五拾三次


    三島 朝霧(みしま あさぎり)
    歌川広重/画


     難所の箱根をはさんで位置する三島宿と小田原宿は、宿泊する旅人も多く、ともにおおいに賑わった。鳥居は三島明神のもので右端に神社の屋根も見えている。
     副題に「朝霧」とあることから、場面は霧が立ちこめる早朝の風景であることがわかる。見どころはシルエットを多用した表現方法であろう。手前のものは藍、遠くのものは墨で摺り分けており、しっとりとした叙情的な画面がいかにも広重らしい。
    (資料番号:08100012)

  • 東海道五拾三次


    沼津 黄昏図(ぬまづ たそがれず)
    歌川広重/画


     「黄昏図」と題し、満月がのぼったばかりの頃の街道を描く。画面を鋭角に流れる狩野川(かのうがわ)と既に暗くなってきている空の藍色が、冴え冴えとして美しい。橋の向こうが沼津の宿となり、明るい月に照らされた白壁が、旅人たちに宿が近いことを教えている。
     中央に描かれる赤い顔の天狗面は、金比羅宮へ参詣する人が奉納するもの。唯一鑑賞者に顔を向ける天狗は、日も暮れて宿場に急ぐ旅人達を守る殿(しんがり)の役目を果たしているようだ。
    (資料番号:08100013)

  • 東海道五拾三次


    原 朝之冨士(はら あさのふじ)
    歌川広重/画


     この作品で最も目を引くのは、富士山の頂上が枠からはみ出している点であろう。紙の縁ぎりぎりのところに山頂がある。これによって富士山の高さがより効果的に表されている。街道で富士山を見上げる女性達の姿も、高さを強調するのに一役買っている。
     富士山の斜面右側に薄く赤色を入れ、画面上部の一文字(いちもんじ)ぼかしも赤色にすることによって、朝日に映える富士山の美しさを表現している。
    (資料番号:08100014)

  • 東海道五拾三次


    吉原 左冨士(よしわら ひだりふじ)
    歌川広重/画


     江戸から海沿いに西へ向かう東海道では、富士山は右側に見えるが、内陸に入り込む吉原では富士山が東海道の左側に見える場所がある。その意外性が話題となり、ちょっとした名所として知られるようになった。馬の上に乗った子ども達が顔を左に向けて眺めるようすが、「左冨士」への関心の強さを伝えてくれる。
     ジグザグに進む道と、複雑に曲がった松並木の表現がおもしろい遠近効果を出している。
    (資料番号:08100015)

  • 東海道五拾三次


    蒲原 夜之雪(かんばら よるのゆき)
    歌川広重/画


     シリーズの中でも名品のひとつとされる。画面上部に墨で一文字ぼかしを入れて空を明るく仕上げたタイプのものが初摺りとされるが、この作品のように空の下からぼかし上げたタイプのものも広く知られている。
     蒲原にこれほどの雪が積もるとは考えにくく、東海道の宿場を描くことよりも、しんしんと更けてゆく雪の夜を表現することに、意を注いだ作品といえよう。
    (資料番号:08100016)

  • 東海道五拾三次


    由井 薩た嶺(ゆい さつたれい)
    歌川広重/画


     由比(画中は由井)の宿は、薩た峠の東側に位置する。画面左側にそびえ立っているのが、難所として知られた薩た峠。頂上は画面の外にあり、高さを強調している。右側には駿河湾が広がり、伊豆半島が突端を伸ばしている。よくみると、峠道の急斜面から2人の旅人が景色を眺めている。
     中央に立つ2本の磯馴松(そなれまつ)の鋭角的に折れ曲がっている姿が、海沿いの峠道の過酷さを象徴しているようだ。
    (資料番号:08100017)

  • 東海道五拾三次


    興津 興津川(おきつ おきつがわ)
    歌川広重/画


     画面左側の薩た峠から降りてくると、興津川が流れている。遠くには駿河湾を望み、浜辺の松や沖の舟の白い帆もみえる風景は、広がりのある画面となっている。この川も徒渡(かちわた)しで、2人の力士が川を渡っている。荷物とともに馬に乗る力士は満足そうであるが、窮屈そうに駕籠に乗る力士は、不安そうに水面を見下ろしている。
    (資料番号:08100018)

  • 東海道五拾三次


    江尻 三保遠望(えじり みほえんぼう)
    歌川広重/画


     駿河湾の代表的な名所のひとつ三保の松原を中心に据えた風景。墨で簡単に描かれているものの、細長く海に突き出たかたちや何本も生えている松の木の姿で、三保の松原とわかる。手前には清水湊(しみずみなと)の家並みが白く続く。
     駿河湾らしい広々とした眺めであるが、遠くにみえる白い帆、手前の弁財船(べざいせん)の帆柱、そして清水の家並みが、それぞれ無数に描かれている点に清水湊の賑わいを感じる。
    (資料番号:08100019)

  • 東海道五拾三次


    府中 安部川(ふちゅう あべかわ)
    歌川広重/画


     府中宿と丸子(まりこ・鞠子ともいう)宿の間に流れるのが、安倍川(安部川)である。安倍川餅で親しまれた川であるが、ここの徒渡(かちわた)しの場面は、旅人がそれぞれ異なるスタイルで川を渡っている点が興味深い。肩車の男女のほか、駕籠のまま輦台(れんだい)に乗る女性と輦台に直接座っている女性が描かれている。
     肩車の男性の背中に書かれた「○」に「竹」は、版元の竹内孫八を示す印。このシリーズには随所に版元や広重等の宣伝が盛り込まれている。
    (資料番号:08100020)

  • 東海道五拾三次


    鞠子 名物茶店(まりこ めいぶつちゃみせ)
    歌川広重/画


     初摺りには「丸子」と書かれている作品。現在この地は丸子と表記されているが、江戸時代は「鞠子」「麻利子」「満利子」とも書くことがあったという。
     茶店の看板に「名ぶつとろろ汁」とあるように、とろろ汁が有名であった。旅人も茶碗でとろろ汁を食べている。店の奥には焼き魚も用意されている。赤ん坊を背負った女性のかいがいしい姿に、街道筋の気さくな茶店の雰囲気が伝わってくる。
    (資料番号:08100021)

  • 東海道五拾三次


    岡部 宇津之山(おかべ うつのやま)
    歌川広重/画


     丸子宿と岡部宿の間にあった宇津之山は、『伊勢物語』の「蔦の細道(つたのほそみち)」のエピソードで知られた場所であるが、ここに描かれる東海道は「蔦の細道」とは別に、新たに開かれた道である。画面には、岡部川に沿った東海道を往来する人々が描かれている。
     道の両側からせまる山が丸くお椀を臥せたように描かれている点が、「蔦の細道」を好んで描いた琳派の画家達の、柔らかい曲線的な表現に通じるものがある。
    (資料番号:08100022)

  • 東海道五拾三次


    藤枝 人馬継立(ふじえだ じんばつぎたて)
    歌川広重/画


     ここでは街道を行く人足や馬を継ぎかえるようすを、近接した視点で描いている。上部の木の根から、逆の「く」の字に配置した構図がすっきりしている。登場人物の仕草や表情がおもしろく、また当時の宿場の実態や人足達の自然な姿を知ることができるという点では、歴史的にも興味深い作品といえる。
     馬の腹帯の「竹内」、荷物の立札に書かれた「保永堂」は、版元の保永堂竹内孫八を示すものである。
    (資料番号:08100023)

  • 東海道五拾三次


    嶋田 大井川駿岸(しまだ おおいがわすんがん)
    歌川広重/画


     島田(嶋田)宿と金谷(かなや)宿の間に流れる大井川は川幅が広く流れも速い川で、増水などで渡れないこともある危険な川であった。東海道も半ばに位置する難所のひとつである。
     画面向かって右端には護岸のための蛇籠(じゃかご)が置かれ、続々と集まってくるたくさんの旅人達が岸辺に点々と描かれている。先頭グループがようやく本流に向かおうとする場面であるが、川の全貌を描かずに、巨大な大井川の存在を感じさせる構図となっている。
    (資料番号:08100024)

  • 東海道五拾三次


    金谷 大井川遠岸(かなや おおいがわえんがん)
    歌川広重/画


     嶋田の副題「駿岸」は駿河国(するがのくに)側の岸を、金谷の副題「遠岸」は遠江国(とおとうみのくに)側の岸の意味する。大井川を渡り始める場面を描いた嶋田に対し、こちらは大井川を渡り終えた一群を描く。
     「嶋田」と「金谷」の作品2枚を使って、大井川を渡り切ったことになる。大井川の大きさを効果的に伝えた連作といえる。
    (資料番号:08100025)

  • 東海道五拾三次


    日坂 佐夜ノ中山(にっさか さよのなかやま)
    歌川広重/画


     金谷と日坂の宿の間にある小夜(佐夜)の中山の峠は、箱根につぐ道の険しい難所として知られていた。画面中央から右上角に向けて伸び上がるように急坂が描かれている。
     中央の街道に置かれる丸い岩は「夜泣き石」と呼ばれるもので、この石の近くで妊婦が斬り殺され、その後石に乗り移った妊婦の霊が夜ごと泣いたという伝説がある。石には「南無阿弥陀佛」と彫られているようで、旅人達が立ち止まり伝説を忍んでいる。
    (資料番号:08100026)

  • 東海道五拾三次


    掛川 秋葉山遠望(かけがわ あきばさんえんぼう)
    歌川広重/画


     画面の右奥にみえる山が秋葉山で、江戸時代には火防(ひぶせ)の神として信仰を集めた秋葉大権現の存在で広く知られていた。場面は秋葉山への参道が分かれる手前の、大池橋附近。橋の際に立つ常夜灯は、秋葉神社に通じる道によく置かれたものである。
     橋の上を数人の人が行き交うが、子どもと男性が見上げる先には空高く凧が揚がっている。名物の遠州凧(えんしゅうだこ)であろう、画面の枠をはみ出るように凧を描くことによって、高さを強調している。
    (資料番号:08100027)

  • 東海道五拾三次


    袋井 出茶屋ノ図(ふくろい でぢゃやのず)
    歌川広重/画


     副題にある「出茶屋」とは、町はずれの道ばたの簡単なつくりの茶屋のこと。町はずれを強調するかのように、店のすぐ脇に宿場町の境界を示す傍示杭(ぼうじぐい)が、道の反対側には高札が立っている。遠くに見えるのが袋井の宿の家並みであろう。
     木の枝から吊したやかんで湯を沸かすようすや、のんびり休む旅人や駕籠かきの姿が、鄙びてのどかな雰囲気を漂わせている。煙には、空摺りによる凸凹がほどこされている。
    (資料番号:08100028)

  • 東海道五拾三次


    見附 天竜川図(みつけ てんりゅうがわず)
    歌川広重/画


     見附宿の西側に流れているのが天竜川。天竜川は船で渡ることが許されていた川のひとつ。天竜川は大天竜、小天竜とふたつの川を渡ることになるので、中州での渡し舟の乗り継ぎのようすを描いた場面となっている。手前の渡し舟の大きさが目をひく。
     遠景が墨の濃淡のシルエットで描かれているのは、霧か雨を表すものであろうか、何か天候による叙情的な雰囲気が感じられる。
    (資料番号:08100029)

  • 東海道五拾三次


    浜松 冬枯ノ図(はままつ ふゆがれのず)
    歌川広重/画


     副題の冬枯れの雰囲気が伝わってくる画面である。遠くに浜松城と宿場町が眺められる。画面右の立て札のある松林は、室町幕府の6代将軍足利義教(あしかがよしのり)にまつわる伝説を持つ「ざざんざの松」ではないかといわれている。
     横に引かれた土手の線と、中央にまっすぐに立つ大木が作り出すきっぱりとした構図が小気味好い。それとは対照的にゆらゆらと立ち上る焚き火の煙も印象的で、周囲で暖を取る男達の飾らぬ風体がおもしろい。
    (資料番号:08100030)

  • 東海道五拾三次


    舞坂 今切真景(まいさか いまぎれしんけい)
    歌川広重/画


     描かれるのは、かつて浜名湖と遠州灘(えんしゅうなだ)を区切っていたところが決壊したため、今切という地名が付いたところ。ここは船渡しとなる場所であるが、画面には浅瀬に降りて何かを採っている人びとの姿が描かれている。
     副題に「真景」とあるが、実際にはこのあたりにこれほど険しい山は無い。遠くに白抜きで表現された富士山が、旅もずいぶんと進んで来たことを感じさせる。
    (資料番号:08100031)

  • 東海道五拾三次


    荒井 渡舟ノ図(あらい わたしぶねのず)
    歌川広重/画


     今切の渡しを行く、御座船とお供の舟を中心に描いた場面。正面に広がるのが荒井宿で、右端には新居(荒井)の関が大きく控えている。ちょうど遠州灘と浜名湖の間を横切っていくところである。揃いの着物を着たお供の人びとは長旅に疲れたのか、いずれも欠伸(あくび)をしたり居眠りをしたり、しばし舟の移動でくつろいでいるようだ。
     お供の人が乗る舟の幟の印は版元を示す「○竹」印と思われる。
    (資料番号:08100032)

  • 東海道五拾三次


    白須賀 汐見阪図(しらすか しおみざかず)
    歌川広重/画


     宝永4年(1707)の津波以降、白須賀の宿は、ここに描かれる汐見坂(阪)を上った高台に置かれることになった。坂の向こう側に遠州灘が開け、浜辺には網干(あぼし)や漁村の屋根が見える。潮風が吹いてくる、絶景の場所のひとつといえるだろう。
     その汐見坂には、大名行列が眺めを楽しむ風もなく歩いている。赤い挟箱(はさみばこ)に描かれた紋は、広重を示す「ヒロ」をデザインしたものである。
    (資料番号:08100033)

  • 東海道五拾三次


    二川 猿ヶ馬場(ふたがわ さるがばば)
    歌川広重/画


     白須賀と二川の間、白須賀よりにあった、猿ヶ馬場を描く。猿ヶ馬場の名称の由来はいろいろとあるが、どれも定かではないようだ。ここに描かれる猿ヶ馬場は、広々とした丘陵で、小さな松がたくさん生えている。
     3人の瞽女(ごぜ)と思われる女性がたどり着こうとしている茶店には、「名物かしハ餅」と看板が下がっている。柏餅が名物として知られていたところ。
    (資料番号:08100034)

  • 東海道五拾三次


    吉田 豊川橋(よしだ とよがわばし)
    歌川広重/画


     画面右手に普請中の吉田城、そして川幅の広い豊川と大きな橋を画く。橋は、副題にある豊川橋であるが、吉田大橋、豊橋(とよばし)と呼ばれていた。
     対岸に見えるのは下地(しもじ)の家並みとなるが、城の櫓(やぐら)を手前に描くことによって強調された高さと、東海道でも屈指の橋の長さが、スケールの大きな画面作りを助けている。足場の先で遠くを眺めている人の姿が、おもしろいアクセントとなっている。
    (資料番号:08100035)

  • 東海道五拾三次


    御油 旅人留女(ごゆ たびびととめおんな)
    歌川広重/画


     副題にあるように、夕闇せまる中、旅人をいささか強引に引っ張り込もうとする留女と、首にかけた荷物をつかまれ苦しそうな旅人が描かれる。思わず笑ってしまう描写である。
     ここで見落とせないのは、旅籠屋(はたごや)の土間の壁に「竹之内板」と版元名が大書され、さらに講札にも「東海道続画」「彫工治郎兵ヱ」「摺師平兵衛」「一立斎図」とあり、このシリーズと、彫師、摺師、絵師(一立斎は広重の号)の名を堂々と宣伝している点である。
    (資料番号:08100036)

  • 東海道五拾三次


    赤阪 旅舎招婦ノ図(あかさか りょしゃしょうふのず)
    歌川広重/画


     このシリーズでは珍しい、室内風景に焦点を絞った作品。旅籠で旅の疲れを取る泊まり客達のようすを描く。画面左は、寝ころんで煙管を吸う男性のところに飯盛(めしも)り女が夕食を運んで来たところ。疲れた身体をマッサージしてくれる、按摩(あんま)も部屋にやってきた。
     右側の部屋には、身支度に余念がない女性たちがいる。実態は遊女に近い飯盛り女たち、ここで言う招婦たちの接客前の姿である。旅籠で働く人々の素顔が垣間見られる作品である。
    (資料番号:08100037)

  • 東海道五拾三次


    藤川 棒鼻ノ図(ふじかわ ぼうばなのず)
    歌川広重/画


     傍示杭(ぼうじぐい)と高札場にはさまれた藤川宿の入口附近、通称「棒鼻」のようすを描く。入ってくる行列の2頭の馬に御幣(ごへい)を立てている点や、入口脇で宿場の役人と思われる2人が蹲踞(そんきょ)で出迎えている点などから、これは幕府から朝廷へ馬を献上する八朔御馬進献(はっさくおうましんけん)行列とみる説がある。
     またこのことを、広重が御馬進献の旅に同行して「東海道五拾三次」を描いたとする伝聞の証拠とする考えもあるが、疑問の余地がある。
    (資料番号:08100038)

  • 東海道五拾三次


    岡崎 矢矧之橋(おかざき やはぎのはし)
    歌川広重/画


     岡崎宿の手前に流れる矢作川(矢矧川)に架かる、東海道中最も長い橋となる矢作橋(矢矧橋)を中心に描いた作品。岸の向こうに見えるのは岡崎の家並みと岡崎城である。岡崎城は徳川家康が生まれたところであり、江戸時代には当然重視された場所であった。
     橋の上を岡崎に向かうのは立派な大名行列。長々と大名行列を描くことによって、矢作橋の長さが強調されている。
    (資料番号:08100039)

  • 東海道五拾三次


    池鯉鮒 首夏馬市(ちりゅう しゅかうまいち)
    歌川広重/画


     知立(江戸期は池鯉鮒が多い)では、毎年陰暦の4月25日から5月5日まで馬市が開かれた。副題にある「首夏」は初夏の意味で、陰暦4月を表す。見世物や遊女も集まる東海道沿い最大の馬市であったという。
     画面は、たくさんの馬が杭に繋がれているところで、遠くにそびえる1本の大木は馬を売買する人々が集まった談合松(だんごうまつ)。
    (資料番号:08100040)

  • 東海道五拾三次


    鳴海 名物有松絞(なるみ めいぶつありまつしぼり)
    歌川広重/画


     有松絞りで有名な有松村は鳴海宿の隣村。画中には2件の店があり、有松絞りの藍や赤色の手拭いや浴衣が店先に丁寧に描かれている。道行く旅人が、みな女性であることも、絞り染めで人気のあった村らしい華やかさを添えている。
     手前の店の暖簾(のれん)には、中心に広重を示す「ヒロ」の印、その右には版元を示す「竹内」、そして「新板」という文字がある。
    (資料番号:08100041)

  • 東海道五拾三次


    宮 熱田神事(みや あつたしんじ)
    歌川広重/画


     宮とは、熱田神宮の門前であることから付いた名で、副題の「熱田神事」は、熱田神宮の祭礼のひとつ馬の塔を指している。毎年5月5日の端午の節句に行われたもの。
     描かれているのは神事の一場面で、荒薦(あらごも)を巻いた俄馬(にわかうま)に長い綱を付けて大勢の男達が競走しているところ。村ごとに疾走する男達の姿が生き生きと描かれている。
    (資料番号:08100042)

  • 東海道五拾三次


    桑名 七里渡口(くわな しちりのわたしぐち)
    歌川広重/画


     宮宿から桑名宿までは海路となり、宮宿の神戸(ごうど)の浜から桑名宿に向かう。その航路が七里あったことから、七里渡(しちりのわたし)と呼ばれていた。副題にある「七里渡口」は、伊勢湾から揖斐川(いびがわ)に入ったところにあった桑名側の湊の名前で、桑名城も描かれている。
     波の表現が美しく、とくに藍色と緑色の配色と動きのある波のうねり具合は見応えがあり、このシリーズ中最も魅力的な海となっている。
    (資料番号:08100043)

  • 東海道五拾三次


    四日市 三重川(よっかいち みえがわ)
    歌川広重/画


     副題の「三重川」は三滝川(みたきがわ)の古い名前で、四日市を通り伊勢湾に流れ込む川。画面はその三重川にかかる橋の辺りを中心に描いており、左奥に四日市湊(よっかいちみなと)と思われる家並みと帆柱が見える。
     見どころは、風による表現であろう。橋と水平になるほど合羽(かっぱ)を風になびかせながらも淡々と歩く橋の上の旅人と、風に飛ばされて地面を転がる笠を追いかける少々滑稽な旅人。同じ強風に難儀しながらも、その姿が対照的でおもしろい。
    (資料番号:08100044)

  • 東海道五拾三次


    石薬師 石薬師寺(いしやくし いしやくしじ)
    歌川広重/画


     石薬師宿の名前の由来は、副題にある「石薬師寺」という寺にある。画面手前からのびる縄手道(なわてみち)の突き当たりに見えるのが石薬師寺の門となる。そしてそのまま右側に連なるのが宿場町の家並みである。
     田圃のようすから秋の風景とわかるが、空の赤茶色のぼかしは夕焼けを表現していると思われ、夕暮れの秋の空気が伝わってくるようだ。
    (資料番号:08100045)

  • 東海道五拾三次


    庄野 白雨(しょうの はくう)
    歌川広重/画


     副題の「白雨」は夕立やにわか雨のことだが、その雨をめぐる表現が秀逸である。画面に向かって右上方から吹き付けるように降る密集した雨の線、顔を伏せるようにして足早に行く人々の姿、どれを見ても急な雨の激しさというものが感じられる。また背後でたわむ竹藪の濃淡のシルエットも、雨によって俄(にわか)に暗くなった世界をうまく表現している。このシリーズを代表する作品のひとつ。
     傘には「竹のうち」「五十三次」と、版元とシリーズの宣伝文字が読みとれる。
    (資料番号:08100046)

  • 東海道五拾三次


    亀山 雪晴(かめやま ゆきばれ)
    歌川広重/画


     亀山宿は亀山城の城下町でもある。画面右上の崖の上に建つのは亀山城の京口門(きょうぐちもん)と思われ、左下には城下町の家並みが広がる。門を目指して、急な坂道を大名行列が進む。
     「雪晴」と副題にあるように、空は晴れ上がり朝焼けが空を染めている。墨だけで表現された雪景色と、右上から左下に流れる鋭い斜線による画面作りが、雪の朝のぴんと張りつめた厳しい空気を感じさせてくれる。枝を斜めに伸ばしながらも、垂直に立つ中央の木が印象的だ。
    (資料番号:08100047)

  • 東海道五拾三次


    関 本陣早立(せき ほんじんはやだち)
    歌川広重/画


     大名などが宿泊した本陣の、朝早い出発のようすを描く。中央右手に描かれる棒状のものは、宿札(やどふだ)もしくは関札(せきふだ)と呼ばれ、高位のものが宿泊すると、宿屋の前に宿屋の名前と宿泊者の姓名を書いて掲げたもの。
     本陣内の札に「皃の薬仙女香」「しらが薬美玄香」とあり、さらに襖には「京ばし南てんま丁三丁め坂本氏」と書かれ、江戸の化粧品の宣伝が行われている。幔幕(まんまく)等の紋は、広重の父方の実家「田中」姓をデザイン化したものといわれている。
    (資料番号:08100048)

  • 東海道五拾三次


    阪之下 筆捨嶺(さかのした ふですてれい)
    歌川広重/画


     副題の「筆捨嶺」とは、関宿と坂之下宿の間にある岩根山のことで、筆捨山(ふですてやま)ともいう。絵師狩野元信が、この山を描こうとしたが断念して筆を捨てたことに由来する名だという。
     画面向かって左の険しい山が筆捨嶺で、対する道には茶屋がある。この辺りの茶屋は四軒茶屋(しけんぢゃや)・筆捨茶屋とも呼ばれており、筆捨山の景観を楽しむのに格好の場所となっていた。
    (資料番号:08100049)

  • 東海道五拾三次


    土山 春之雨(つちやま はるのあめ)
    歌川広重/画


     雨の中、土山の田村川を大名行列が渡っていく。「春之雨」にふさわしい穏やかさを感じさせる雨の表現が、激しさを全面に出した「庄野 白雨」と対照的である。
     鈴鹿馬子歌(すずかまごうた)に「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」とある。「あいの」の解釈には諸説あるが、坂下(阪之下)宿は晴れ、鈴鹿峠は曇り、そして土山は雨が多いという意味の歌。この馬子歌にちなんで、雨の光景が描かれた可能性もある。
    (資料番号:08100050)

  • 東海道五拾三次


    水口 名物干瓢(みなくち めいぶつかんぴょう)
    歌川広重/画


     画中には、水口の名物のひとつとされる干瓢(かんぴょう)を作る女達の姿が描かれている。宿場の名物の生産にかかわる人々の姿を大きく描いているのは、シリーズ中この作品のみとなる。干瓢は、丸い夕顔の実を薄く削り、ひも状になったものを干して作るが、そのようすがよくわかる。この干瓢作りには、水口藩主が改良に関わったという言い伝えがあるという。
     街道の中央を一人の旅人が歩いているが、干瓢には全く関心が無いようだ。
    (資料番号:08100051)

  • 東海道五拾三次


    石部 目川ノ里(いしべ めがわのさと)
    歌川広重/画


     石部宿と草津宿の間にある目川(めがわ)には、宿場間のちょっとした休憩場所、立場茶屋(たてばぢゃや)があった。描かれているのはそのひとつ「伊勢屋」であることが暖簾の文字からわかる。この目川の茶屋で出す、豆腐に味噌を塗って焼いた目川田楽(めがわでんがく)と菜飯(なめし)が名物となっていた。かなり立派な茶店のようすや、周辺に描かれる旅人の多さからも、この目川の茶屋の人気のほどがうかがえる。
    (資料番号:08100052)

  • 東海道五拾三次


    草津 名物立場(くさつ めいぶつたてば)
    歌川広重/画


     画中の看板に「うばもちや」とあるので、姥ケ餅(うばがもち)で有名な矢倉村(やぐらむら)のようすとわかる。副題の「名物立場」とは、姥ケ餅で有名な宿場はずれの茶屋、というような意味になる。
     この店は、ちょうど矢橋湊(やばせみなと)に出る矢橋街道との分かれ道に位置しており、画面向かって右端には道標がみえる。広々とした店の中は随分賑わっており、手前の街道も早駕籠やら大きな荷物やらが行き交っている。街道筋の活気が伝わる作品である。
    (資料番号:08100053)

  • 東海道五拾三次


    大津 走井茶店(おおつ はしりいちゃみせ)
    歌川広重/画


     副題から、描かれているのは大津から逢坂山(おうさかやま)に向かう途中の大谷にあった立場茶屋であるとわかる。茶屋の前で大量の水が湧き出ているが、これが走井と呼ばれている。よくみると井戸に名前が書いてある。また茶屋の暖簾にも「走井」と書かれており、ここで名物の走井餅が売られていた。
     牛車で大量に運ばれる物資をみると、京の都の近さが感じられる。
    (資料番号:08100054)

  • 東海道五拾三次


    京師 三條大橋(けいし さんじょうおおはし)
    歌川広重/画


     東海道を江戸から上れば、終着点は鴨川に架かる三条大橋となる。画面一杯に描かれた橋には日傘をかけられた女性や茶筅売(ちゃせんう)りなどが行き交い、街道筋を歩く人びととはひと味違った雰囲気がある。
     この最後の画面は、明らかに通りすがりに楽しむ風景や風物ではなく、ようやくたどり着いた京都の日常風景であり名所絵として味わえるものだ。ここでやっと、長い旅は終わるのである。
    (資料番号:08100055)

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