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  江戸東京博物館

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  • 江戸名所之絵
    鍬形紹真(北尾政美)/画
    1803年(享和3年)

     江戸をかなり高い位置から俯瞰的に眺めた鳥瞰図。同じく鍬形紹真(1764〜1824)が、1809年(文化6年)に制作した津山郷土博物館所蔵「江戸一目図屏風」に大変よく似ており、屏風に先がけて描かれたものとわかる。
     この広やかな江戸図の中心に、日本橋が描かれている。細かい絵図なのでなかなか探しにくいが、富士山の下の方で斜めに流れる川の、ふたつの大きい橋のうちの奥の方だ。さらに奥には、小さく一石橋も見える。この川が日本橋川であることは言うまでもないが、画面下方に長々と描かれる隅田川と比較すると少々川幅があり過ぎるような気がする。おそらく日本橋を強調するために、川もゆったりと描く必要があったのであろう。
    しかし 実際は、川幅の差とは関係なく、日本橋川と隅田川の結び付きが非常に強かったことも関係していると考えられる。日本橋川という川は、隅田川を経由して海に出れば日本中とつながる水路となり、隅田川に出て、そのままさかのぼれば浅草や吉原への早道となった。この絵図は鳥瞰図として面白いばかりではなく、日本橋が江戸の水路の要所であったことも巧みに表現している点からも、大変興味深い作品といえる。
    (資料番号:86200902)

  • 「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」
    歌川広重/画 蔦屋吉蔵/版
    1830〜43年中頃(天保期)

     3枚続の横長の画面を効果的に使って、北東の視点から日本橋と、その界隈を描いた図。画面中央にゆったりと日本橋を描き、遠景に富士山と江戸城を望み、高札場のある南詰も描きつつ、手前の魚市のようすにもたっぷりと画面を割いた、典型的且つ模範的な日本橋図といえる。
     ここで改めて気付かされることは、日本橋川が幅広く青々と美しく描かれていることである。日本橋ばかり眺めているとつい見落としてしまうが、日本橋川の存在感も味わいたい作品である。
    (資料番号:90207421)

  • 浮絵 江戸橋より日本橋見図
    鍬形紹真(北尾政美)/画 榎本吉兵衛/版
    1781〜95年(天明元年〜寛政7年)

     江戸橋の下流の水面に視点を置き、手前の江戸橋をくぐるようにして日本橋を描いた図。川の水面に置かれたようなこの視点は、舟に乗ることが日常生活にあった江戸ッ子にとって自然な発想だったと思う。日本橋の絵に作例はあまり無いようであるが、隅田川の橋についてはよく見かける舟上の視点である。
     ただ、江戸橋をくぐった向こうに日本橋があり、さらにその日本橋の下をくぐった向こうに一石橋が見えているのには、驚かされる。3つの橋の表現に加え遠近法も用いられており、極めて独特な風景となっている。
    絵師は「江戸名所之絵」を描いた鍬形紹真(くわがたけいさい)。個性的な江戸名所に取り組んできた絵師の手によるものらしい、面白い作品である。
    (資料番号:91210135)

  • 『東都勝景一覧』日本橋
    葛飾北斎/画 須原屋茂衛・須原屋伊八・蔦屋重三郎/版
    1800年(寛政12年)

     日本橋の上から日本橋川下流の江戸橋方面を眺めた図。日本橋は画面手前に目立たないかたちで描かれているが、往来する人びとによって橋の存在感は伝わってくる。水平線を低く取り空が広々としている風景画は、北斎が得意とした表現のひとつである。
     これは江戸の名所や風俗を、四季の変化を持たせながら描いた狂歌絵本。ここでも日本橋が初夏の名所としてとりあげられている。橋の上の魚売りが象徴するように、初鰹の入った笊(ざる)のようなものを高く差し上げている。そしてその上空、火の見櫓(みやぐら)の左斜め上を飛ぶ黒い鳥は、ホトトギスと見て差し支えないと思う。一部がとがった特徴的な形は、ホトトギスを描く場合の典型である。斬新な構図によって描かれた日本橋風景であるばかりではなく、季節の風物詩をさりげなく取り込んでいる点も見逃せない。
    (資料番号:90201134)

  • 「江都四時勝景図巻」(乾巻)日本橋の堅魚時鳥
    狩野素川/画・詞書
    1816年(文化13年)

     各月にひとつ江戸の年中行事を画題にかかげ、詞書(ことばがき)と絵によって構成した2巻の絵巻の内一場面。この絵巻の特徴として、行事が行われている場所に、いずれも広く知られた江戸の名所が選ばれている。ここに描かれる日本橋は、高札のある南側から北側の魚河岸を広く見晴らすかたちとなっている。しかし高札場よりも、魚河岸に沿って並ぶ建物の方が明らかに立派でみる者の目を引く。
     さて、このような絵巻で「4月」に日本橋が描かれている理由は、画題から初夏、つまり旧暦の4月に日本橋の魚河岸から初鰹(はつがつお)があがるためであるとわかる。都市の中心に存在し、今となっては特定の季節と結びつきにくい日本橋が、江戸時代は初鰹によって「4月」という月、もしくは初夏という季節をまとっていたことは、いかにも江戸らしいことと言わなくてはならない。江戸の名所は、その多くが、最もその名所が華やかに賑わう季節で描かれるようになっていく。年中行事を大事にしていた江戸らしい発想である。「日本橋は4月」という共通認識が生まれていたことは、歌川広重の「東都名所年中行事 四月 日本橋初かつお」の作品の存在からもわかる。
     なお、この絵巻の日本橋上空をよく見ると、一羽の鳥が飛んでいる。この鳥がホトトギスである。「目には青葉山ほととぎす 初鰹」という、山口素堂(1642〜1716)の俳句にもあるように、誠に季節感あふれる日本橋の絵である。
    (資料番号:87200522)

  • 江戸日本橋より富士を見る図
    溪斎英泉/画 江崎屋吉兵衛/版
    1818〜29年(文政期)

     広重の真面目な日本橋図と同じように、魚市を手前に控える北東から日本橋を描いた図。これも魚河岸あっての日本橋という同じ立場をとる作品のひとつであるが、この作品を他の作品と全く異なる印象で際立たせているのは、その表現方法と色彩である。
     この作品は、周囲にアルファベット風の囲みがあることから「蘭字枠」という通称をもつシリーズのひとつで、この囲みの柄に象徴される洋風表現が特徴となる。水平線を低く取って空を広くし、陰影をほどこす手法は、その代表的なもののひとつである。地平線から湧き上がる雲の形も西洋の銅版画を思わせるものがある。また青の濃淡を基調とした色彩構成は江戸末期に人気を博した表現である。典型的な日本橋図でありながら、独特の空気を漂わせた魅力的な作品となっている。
     また、画面左側に高い建築物が見えるが、手前が火の見梯子(みばしご)で、その後ろが井戸堀の櫓(やぐら)である。井戸堀の櫓の特徴は垂直の高い柱に、斜めに棒をかけて菱形のように組んでいることである。フランス国立図書館に、北斎が描いた井戸堀りの櫓絵がある。時折、浮世絵の中で街中の高層建築のように描かれ、風景のアクセントとなっている。
     なお、周囲のアルファベット風の囲みの下中央付近に「板」「元」と漢字があり、さらにそれら2文字の漢字の間に、丸に縦線2本の印があることから、この錦絵の版元は江崎屋吉兵衛(えざきやきちべえ)であることがわかる。
    (資料番号:94202671)

  • 東京日本橋風景
    歌川芳虎/画 蔦屋吉蔵/版
    1870年(明治3年)

     3枚続の錦絵の画面中央に、正面から日本橋を描いた図。画面左に威容を誇るのは高札場で、その下に1870年(明治3年)に和泉要助・鈴木徳次郎・高山幸助の3人が営業許可を得た人力車の幟(のぼり)が見える。ここで商売を開始した人力車であるが、揚げた幟に「人力車」という文字のほか、人力車の絵も描いてあるところが親しみやすい。
     明治政府も利用していた高札場であるが、人力車が高札場脇で営業を始めたことにより、新たな脚光を浴びたように思われる。江戸時代から引き続き使ったに過ぎない高札場なのに、明治時代初期にやたら大きく描かれるようになったことは興味深い。
     これは、もちろん明治になって大きく改修されたわけではなく、記録によると江戸時代には既に屋根の棟まで6メートルもあったという。明治時代になって目立つようになったのは、描き手や、受け捕り手が、新たに強く関心を持ったがための結果であろう。
    人力車のほか、画面には馬車や自転車など、車輪を使うさまざまな乗り物が、江戸時代以来のメインストリートに溢れんばかりに描かれている。この作品においては、陸上の新しい移動手段となる乗り物に視線は集中しており、日本橋川を行く舟の存在は忘れられてしまったようだ。
    (資料番号:88206035)

  • 日本橋鳥瞰図
    筆者不詳
    1868〜1877年(明治初期)

     手前に日本橋を大きく配置し、日本橋川上流方面を広々と描く。遠景には、旧江戸城と富士山が見えており、江戸時代に定着した定型通りの日本橋図である。また、全体に地平線を低くとり、遠近法を強調した表現は、江戸時代に流行した洋風画の流れをくんでいることもわかる。細部には、丁寧に陰影もほどこされている。
     この作品が明治時代のものであると決定付けてくれるのは、人力車の存在である。日本橋の脇に大きく描かれる高札場の横に赤い旗が立っているが、この旗に「御免 人力車」と書かれている。ここが、まさに1870年(明治3年)に営業許可を得た人力車が、最初に旗揚げをした場所なのである。
     江戸時代と同じような表現で描かれた日本橋であるが、この人力車の旗1本で、既に時代が変わったことが伝わってくる。
    (資料番号:97200018)

  • 東亰(とうけい)名所之内 日本橋真景之図
    歌川国輝(2代)/画  丸屋鉄次郎/版
    1873年(明治6年)

     日本橋南詰のようすを描くが、この絵が描かれた1873年(明治6年)、日本橋は西洋型木橋に架け替えられた。木製の橋ではあるが、表面が平らになった。これにより馬車などが走りやすくなったことは言うまでもない。長い歴史の中で何度も架け替えられてきた日本橋が、ここで初めて基本的な姿を変えたのである。
    また、ここでも高札場が大きく描かれるが、その反対側に高札場以上に大きく描かれているのは、1872年(明治5年)に建てられた電信局の建物である。目新しい洋風建築の登場で明治維新後に俄然注目を集めた高札場も少し鳴りを潜めた感がある。珍しく高札場を見上げる人の姿が描かれているが、この作品が描かれた翌年、1874年(明治7年)に高札場は撤去された。
    (資料番号:11200043)

  • 『江戸八景』日本橋晴嵐
    歌川豊広/画   式亭三馬/序  鶴屋喜右衛門/版
    江戸後期・18世紀末〜19世紀初頭頃

     8ヵ所の江戸名所を描いたシリーズのうちのひとつ。日本橋の南側下流から上流を眺めたもので遠景に江戸城を富士山が控えた定型をとる。このシリーズは彩色も淡く、全体に抒情的な表現が特徴となっており、この作品においても高札場の威圧感などは伝わってこない。『百富士』と構図がよく似ているが、『百富士』が日本橋絵画の定型要素を記号のように並べた印象が強いのに対し、この作品は各要素を取り入れながらも、それぞれが主張し過ぎないよう穏やかに整えられたという印象を受ける。
     シリーズには、「両国夕照(りょうごくせんしょう)」「待乳山夜雨(まつちやまやう)」「上野晩鐘(うえのばんしょう)」「愛宕秋月(あたごしゅうげつ)」「吉原落雁(よしわららくがん)」「佃嶋帰帆(つくだじまきはん)」「三囲暮雪(みめぐりぼせつ)」があるが、いずれも「八景」という伝統的な画題にふさわしい落着きをみせる。
    (資料番号:88202847)

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