注目のコレクション

  江戸東京博物館

go東京都写真美術館   go東京都現代美術館   バックナンバー

  • 隅田川図屏風
    江戸時代前期

     両国橋界隈から上流に向けて浅草寺付近までの隅田川の両岸を、西側から眺めたもの。東岸には、両国橋の右側に御船蔵と竪川、左側に駒留橋(こまどめばし)が描かれ、西岸には、柳橋、御米蔵、駒形堂、そして待乳山聖天(まつちやましょうでん)から浅草寺が描かれる。
     よくみると、両国橋東詰南側の岸辺には隅田川の水で身を清める大山講の人びとがいたり、川の中央には「御用」の幟(のぼり)を立てた舟を従える御座船(ござぶね)がいる。また、御米蔵の前には俵を担ぎ込む人が描かれ、浅草寺界隈では洗濯物を干す人が描かれている。隅田川の風景に加え人びとの生活ぶりも丁寧に描かれており、風俗面での情報も豊かな作品である。
     また、駒形堂が他の建造物に比して大きく描かれている。御堂も隅田川に平行して開かれており、さらに岸辺から階段まで描かれていることから、この駒形堂の描写が江戸前期に属するものと理解できる。他の風俗描写なども、その頃と考えて差し支えないと思われる。

  • 隅田川風物図巻(部分)
    江戸時代中期

     これは江戸城前の日本橋川を下って隅田川に合流し、木母寺(もくぼじ)まで隅田川をさかのぼるかたちで描いた絵巻。山谷堀から先、吉原は描かれていない。日本橋川から描かれた隅田川の絵巻というものも類例が無く、景観年代や描写などから、この絵巻の制作年代は18世紀中頃と推定できる。四季絵としての工夫は見られないが、情報量は豊富であり、隅田川の景観資料として貴重である。
     また、この日本橋川からスタートして浅草方面に向かう舟の航路は、藤田利兵衛(ふじたりへえ)による1690年(元禄3年)『江戸惣鹿子名所大全』(えどそうがのこめいしょたいぜん)の「日本橋」の項に触れられた、船遊山のコースと一致する。隅田川を絵巻に描くとき、隅田川を船で行く楽しみとその航路が念頭にあったことは否定できないであろう。
     なお、この絵巻は全巻を通じて「影からくり絵」となっている大変珍しいものである。これは本紙の一部を切り抜き、裏から薄い紙を貼ってあるもので、表面を暗くして裏から光を当てると、切り抜いた部分が明るく光って見える。実際には、両国の花火の場面が一番の見どころとなっているが、日本橋界隈から浅草寺界隈にいたるまで、川沿いの窓、舟の提灯など気が遠くなるような細工が施されている。さらに絵巻の裏には、名所の名前がひとつひとつ貼り札に書かれており、この絵巻は裏から説明ができるようになっている。おそらく見世物小屋の中で明かりの調節をしつつ、絵巻の裏で口上を述べながら、舟で見物するような雰囲気で絵巻の場面を、巻き取りながら人びとに見せたものであろう。
     いずれにせよ隅田川は、ただ眺めを愛でられたのではなく、このように舟で遊ぶ名所として舟遊びごと愛された、体中で実感できる名所であったのである。

  • 隅田川遠望図
    池田孤邨 画  酒井抱一 賛
    1826年(文政9年)

     画面下に少しのぞいている鳥居は三囲稲荷(みめぐりいなり)のもの。きれいに湾曲した東岸が右に続き、中景には今戸橋を中心にした西岸のようすが広がる。木々の間には待乳山聖天(まつちやましょうでん)や浅草寺の五重塔がみえ、やはりこの作品の遠景にも富士山と筑波山が並んでいる。鳥居から始まる東岸の曲線にやや不安定な感じも受けるが、墨や淡い色彩の濃淡の変化も美しく、全体にしっとりとした柔らかな雰囲気に仕上がっている。
     孤邨(こそん)(1801〜66)は、江戸の文化人として名高い酒井抱一(さかいほういつ)(1761〜1828)の絵の弟子で、この作品に賛を寄せているのが抱一である。賛からこの作品が、文政9年(1826年)11月の舟遊びの日のことをふまえて描かれたものとわかる。また賛の中に列挙される富士山と筑波山、今戸の窯の煙、水鳥の眺め、そして鐘の音が響く浅草寺、といった心惹かれるポイントは、いずれも江戸時代の隅田川の絵の中に何度も登場するものである。抱一の賛を読むことによって、いかにこれらの風景が親しまれ愛されていたかが伝わってくる。

  • 隅田川東岸花見図
    歌川国貞(三代豊国)
    1804〜43年(文化から天保)頃

     隅田川から眺めた土手際の鳥居が印象的な、東岸の三囲稲荷(みめぐりいなり)界隈の花見の光景。画面向かって左にある鳥居が、隅田川から頭の部分だけ見える有名な鳥居。堤から降りて鳥居をくぐり、松と桜が並ぶ参道を右に進むと本社がある。参道の向こうには料理屋や春の摘み草を楽しむ原っぱが広がっている。
     中景に見えるのは牛御前社(うしごぜんしゃ)と弘福寺(こうふくじ)で、堤沿いの遠景には白髭神社(しらひげじんじゃ)の鳥居や川面の舟が見え、さらに遠くの対岸には真崎稲荷(まさきいなり)と石濱神明(いしはましんめい)の鳥居がぼんやりと描かれている。
     このように、この作品は大きな画面一杯に隅田川上流のようすがかなり詳しく描かれている点も興味深いが、さらにおもしろいのはそこに描かれた大勢の人びとの姿であろう。大勢の男女、子供達が春の郊外に繰り出して楽しむようすが、生き生きと写し出されている。小さな人物達を追っていくと、物売りに駆け寄る子供達、三味線に合わせて踊る男達など、賑やかなざわめきまで聞こえてくるようだ。桜の季節の墨東が、いかに心楽しい場所であったか伝わる作品である。

  • 両国夕涼ノ図
    歌川豊広 画
    江戸時代後期

     両国橋界隈は川風が心地よく、納涼の場所としても人気があった。日のあるうちからそぞろ歩きする人びとも多かったようだ。
     お供の少年を連れた母と娘と思われる画中の女性達は、両国橋西岸の南側を歩いている。背景となる対岸には竪川と一ツ目之橋、そして御船蔵がみえる。娘の振り袖が風にゆれてなんとも涼しげである。このまま両国橋方面に歩いて行くと、茶店や見世物小屋が立ち並ぶ両国橋西詰の江戸指折りの盛り場に出る。そこに向かうところかもしれない。
     画中の賛は戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)(1761〜1816)によるもので、「両国に 虹のきへたる 暑哉」とある。夕立の後に虹まで出たのに、まだまだ暑い夏の夕方なのであろう。

  • 東都名所四季之内 両国夜陰光景
    歌川国貞(三代豊国)
    1853年(嘉永6年)

     人だかりする両国橋のシルエットを遠景にした料亭で、納涼の宴を催す女性たち。中央の藍の算盤縞(そろばんじま)のような着物を着た女性と、左の弁慶縞(べんけいじま)の女性は、三味線に合わせて拳遊びをしているらしい。肴が盛りつけられた皿や盃洗(はいせん)の藍染め模様がいかにも涼しげだ。
     女性たちの着物の柄と、茣蓙(ござ)の幾何学的な柄があいまって、華やかでリズミカルな宴の様子を視覚的に表している。

  • 江都四時勝景図巻(坤巻)浅草市(部分)
    狩野素川
    1816年(文化13年)

     各月にひとつ江戸の年中行事をテーマにかかげ、詞書と絵によって構成した二巻の絵巻のうちの一場面。描かれた場所や行事は全て江戸のどこで、どのような行事なのか特定できる。
     ここで紹介するのは12月の「浅草市」。雪晴れの日の浅草寺の年の市を描く。浅草寺の年の市は、新年の準備をする買い物客で大変賑わった。ここでは隅田川の岸辺に立つ駒形堂の前の賑わいを中心に、左へと参道を伸ばし、その先には雪の積もった浅草寺の屋根が描かれる。遠景には大川橋(吾妻橋)がうっすらみえる。旧暦であり気候も異なっていた当時は、12月も十分雪は降り積もっていたはずである。雪の名所として知られた隅田川上流のイメージと、雪に映える赤い御堂の浅草寺の年の市が重なるこの絵は、江戸の冬のイメージをしっかりと伝えてくれる。
     素川(そせん)(1765〜1826)は幕府の奥絵師で、さらに序文や箱書等からも幕臣や学者が関わっていることがわかる。当時の幕府側にとって最も望ましく、誇らしい江戸の一年の姿を描いたものであろう。

  • 隅田川(部分)
    川端玉章 画  尾上柴舟 詞書
    明治時代前期

     明治前期に川端玉章(かわばたぎょくしょう)(1842〜1913)によって描かれた隅田川の四季折々の四景に、昭和初期、尾上柴舟(おのえさいしゅう)(1876〜1957)がそれぞれの絵に詞書を添え、画巻に仕立てたもの。春は三囲稲荷(みめぐりいなり)から長命寺付近までの満開の桜、夏は今戸橋から浅草観音、秋は都鳥の多い向島から水神社までの夕景、冬は真崎稲荷(まさきいなり)より橋場の渡までの雪景が描かれており、江戸から明治にかけての隅田川の四季の移り変わりと、のどかな雰囲気が伝わってくる。
     明治期の日本画壇の中心的存在であった玉章と、大正・昭和の歌人、草仮名の名手であった柴舟の、それぞれの隅田川によせる思いの合作という点からも興味深い。

  • 東京両国通運会社川蒸気往復盛栄真景之図
    野澤定吉
    明治時代前期

     両国橋の西岸下流側、難波橋(元柳橋)付近にあった蒸気船発着所と、堂々たる姿で川を行き交う蒸気船の通運丸を描く。鮮やかな舶来絵具の色と、洋風建築と蒸気船の存在が強い印象を与える。江戸時代以来の錦絵の三枚続というスタイルをとることによって、隅田川に訪れた時代の変化をよりストレートに伝えてくれている。
     隅田川の蒸気船通運丸は内国通運会社のもので、明治10年(1877)から運行を開始している。画中の発着所に架かっている札にも書かれているように、行徳、関宿、野田、銚子など、航路は広範囲に渡っていた。煙を流して隅田川を行く蒸気船は、当時の隅田川の名物といえる。

  • 昭和東京風景版画百図絵頒布画第一景 永代と清洲橋
    小泉癸巳男
    1928年(昭和3年)

     自刻自摺にこだわった癸巳男(きしお)(1893〜1945)の代表的なシリーズのひとつで、復興橋である永代橋と清洲橋を描く。下流に架かる永代橋の上から描いたもので、遠くに清洲橋がみえる。この当時は現在ふたつの橋の間に架かる隅田川大橋は無かった。
     この作品の魅力は、永代橋と清洲橋という鉄橋が描く、それぞれの曲線と直線の美しさであり、それらが上手く重なっているところである。黄昏時の、それも霧が出ているような灰色がかった世界の中で、それらの橋は効果的に浮かびあがってくる。建築物としての橋の美しさを、よく理解した作品といえよう。

ページTOPへ▲